1Q84の中で、20年間の空白もそれがあなたと共有できる「空白」であるなら、私は喜んでその空白を受け入れる。
みたいな言い回しがあったように思えるのだけど、
気のせいかな。
何巻のどこの文章だったか全くわからなくなっちゃった。
はっと思ったところはドッグイヤーしながら読み進めるのに、どうもなくしてしまった。
でも、この言い回しはとても素敵。
たとえ、会えない時間があったとしても、その会えない時間をあなたと共有できるなら、その会えない時間さえも私は喜んで受け入れることができる。
なんというか、着眼点がすごいというか。
例えそれが20年であったとしても。
それこそがこの20年で唯一共有できることだから。
うぉー素敵やん。
論理や伏線はどうのこうのですが
マザとドウタがmotherとdaughterということに今日気づき、
でもリトル・ピープルとか空気さなぎのことについては何もわからず。
という日々。
まぁでも、上のような一文に出会うために小説読んでたんだなってこともあるからね。
さて、一言
ヒッグス粒子について
物理学も哲学も最終的に一緒だと思うから。物質に質量を与えるってどういうことかを考えればとても楽しい。じゃあ社会でそういう役目の人っている?とか組織の中で応用してみると?とか、社会学、人文、すべてに繋がる原理につながる。正確に言えば説明のできなかった物事が説明できるようになる。
二言
畢竟、人は人に対して思った以上にテキトー。人の言ったことについて悩む必要なんてない。人が人のこと考えてアドバイスするとか無理。その人になれないもの。逆の立場になってみてもテキトーなこと言ってる自分がいるでしょ。(でもその立場に立てないが故にテキトーな回答が本質を突くこともある。)
例えば、「真面目だねー」って言われて、「あ、オレ真面目でつまらないのかな・・・」と(私も)思ってしまいがちなんだけど、客観的にそういう場面を見たらきっと私も私に対してなにも考えず「真面目だねー」って言いうるな。って思ったら、ほら、そんな全然大したことじゃないんですよん。
特に先輩とかがいうことは正しいのかなとか思ってしまいがちだが、相手も何も知らない、その場面だけで言ってることも十分ある。自分が先輩だったら後輩にテキトーな事言うなぁって考えたらなんだ先輩もテキトーだなって思える笑。同時に自分が先輩になった時の発言の無邪気な暴力さをわきまえるべき。
俺もこのテキトー加減でもしかして後輩に迷惑かけているのか・・・自分ではかなり冗談と本気の境目ははっきりしているのになぁと思いつつ考えた。
1Q84もう1周しようかな・・・(笑)