handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

とりとめなく雑記

Xってわけじゃないけど、そのタイムラインのアルゴリズムによって「思わされる」ことが多くなっている気がする。

 

なにか言いたくなっているとき、なにか「言わされている」可能性を考えないといけなくなった。

そうすると結果的に何を言う気もなくなっていくような。

ネットに反応せず、自然に世界に反応するように心がけなくては。

 

心に決めたことは別に公表する必要もないし、

おいしいものを食べても教えることもない。

特に食べ物は、お金がなかったときにタイムラインに流れてくるのに嫌気がさしてしまって以来、モラル的にできるだけあげる気もなくなった。

なにかを一緒に祝ったりするにはいいかも。世界的なスポーツとかね。

 

youtubeとか観ててもコメントも楽しみにしている自分もいる。

コンテンツだけじゃなくてその反応もコンテンツのひとつ。

 

最近気になることは

良いインテリアの考え方はなんだろう。

ただ綺麗とかおしゃれとかじゃなくて実用的な、掃除もしやすいインテリア。

 

こんな感じの誰も楽しみにもしてない文章を書き綴るくらいが何の目も気にせずいいかもしれない。

 

自分が何を考えているのか、可視化が必要なような。

リアクションではなく。