ドラマに一喜一憂する。
それを表現する。
ドラマはコンテンツだからいい。
一喜一憂させるためにあるものだから。
でも死は違う。
私を一喜一憂させようなんて意味はこれっぽっちもない。
意見をするときの論拠でも、引き合いでもなんでもない。
「悲しい」なんか述べようものなら、それは人を”消費”しようとしてるのではないかと自問してしまう。
ただただ受け止めることしかできない。
もしくは受け止めることさえできない。
「悲しい」と表現した数時間後に、ドラマの感想を表現できるタイムライン。
数時間後には忘れてまた新たな消費。
だから口には出さない。
”消費”してしまうから。
同列の”消費”にしてはならないから。
このようなことを書くのは2回目だけど
これも間接的に消費してるようだからもう書かない。
あえて言うのなら
なんだってコメント、しなくていいんだよ。