handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

タイトルなし

ドラマに一喜一憂する。

それを表現する。

 

ドラマはコンテンツだからいい。

一喜一憂させるためにあるものだから。

 

でも死は違う。

私を一喜一憂させようなんて意味はこれっぽっちもない。

意見をするときの論拠でも、引き合いでもなんでもない。

「悲しい」なんか述べようものなら、それは人を”消費”しようとしてるのではないかと自問してしまう。

 

ただただ受け止めることしかできない。

もしくは受け止めることさえできない。

 

「悲しい」と表現した数時間後に、ドラマの感想を表現できるタイムライン。

数時間後には忘れてまた新たな消費。

 

だから口には出さない。

”消費”してしまうから。

同列の”消費”にしてはならないから。

このようなことを書くのは2回目だけど

これも間接的に消費してるようだからもう書かない。

 

あえて言うのなら

なんだってコメント、しなくていいんだよ。