handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

2021 year

あけまして。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

といわけで久しぶりにこちらに。

Twitterはよくよく更新しております。

 

2020やったことは

  • 音楽(1曲)を作成&ディレクションした
  • ひとり暮らしが始めた
  • マネージャーという地位になった(正確にいうとなる)
  • 配信ツールを使ってyoutube live配信した
  • 年始家族旅行に行けた
  • 在宅勤務を経験した

ということかなぁと思います。

コロナコロナいってる1年だったと言われますが

在宅勤務もあり音楽を1曲作れたというのはなかなか良かったと思っています。

 

下記otonockという、踊る団体で今後踊っていこうとする曲。

こちらの曲を制作(&三味線はぶん投げ(微ディレクション))したので

是非聴いてみてきださい。

 

かっこいいと思ってくれたら是非一緒に踊ってください。

踊りは今作ってます。

実際はベース部分がもうちょとベケベケ(?)すると思います。


otonockが曲を発表いたしました。

 

あとは、ひとり暮らしを始めました。

そろそろ「実家暮らし」と答えるのも憚られるようになったので

住みたいところに住もう、料理がしたい、住むことで人生が変わるのだ

と思って思い切って始めました。

どこの地域に住むかによって人との交流も変わりますもんね。

 

ちょっとだけ話は変わりますが

これは母が病気をしたときにも思ったことですが

母がいなくなった場合、日常で何が一番変わるかと考え、母の作る料理が食べれなくなることを悲しく思いました。そのため好きな料理のレシピも聞きました。(それには今度挑戦するつもりですが)

しかしながら、行き着いたところは、そうして料理で自分を育ててくれた、育ったこの味を感じる"舌"は、きっと母の料理で出来上がったものなのだと思ったのです。

どんな味が好きか、どんな味が嫌いか、どんな味をどんな風に捉えるのか、

この舌は紛れもなく母の料理で育っており、この舌が判断する"味覚"はきっと

母の料理に近づけさせてくれるものだ。と思うようになったのです。

そう思えたところから、”レシピ”どうの”母の味”がどうの、と思うことよりも

自分そのものの中に母は、人は、生きているのだと思うようになったのです。

 

話戻りまして、ひとり暮らしを始めるとそれを感じることは味覚以外にも多くあったのです。

洗濯の方法、洗剤の選び方、掃除の頻度、小さいゴミを拾うか拾わないか、湯船の掃除、冷蔵庫の使い方・・・枚挙に遑がありません。

 

だって私はそれしか知らないのですから。

そしてそれに合わせることで安心感がどこかしらにあるのです。

(これはポジティブな意味でいってますが、ご家庭の環境によってはネガティヴな話なのかもしれません。)

 

ということで、生活するにも母や家族が自分の中に生きているのだなぁと感じる場面が多々あったのでした。

そういうことを感じながら生きていくのです。

今まで感じなかったことだからこういうことを感じるのは新鮮です。

 

 

このコロナの状況で周りの結婚や出産をよく聞くようになりました。

相変わらず私は特に起こってないのですが笑

 

傍から見ると、曲をつくったり、踊りを踊ったり、ひとり暮らし始めたり

好きなことばっかりやってる(充実してそう)から、結婚ができないんじゃないかと思われたりするのですが、個人的には全部逆です。

 

最近、「ミステリと言う勿れ」という漫画を読みまして、その一説にこんなセリフがあります。

子供を産んだら女性は変わると言いましたね。

当たり前です。 ちょっと目を離したら死んでしまう生きものを育てるんです。

問題なのは、あなたが一緒に変わってないことです。

…でもそれは強制されることではないので好きにしたらいいと思います。

したこともしなかったこともいずれ自分に還ってくるだけなので

(ミステリと言う勿れ)

 つまり、子供ができたら多分生活が変わるという覚悟があるので、今手が出せることがあるならやっておこうと思っているのです。

学生時代の海外旅行もそうでした。あの時の自分を知っている人の思う自分は

海外好きで本当に行っちゃうやつ、みたいな感じだったと思います。でも、子供ができたら、社会人になったら、行けなくてもいいようにいっぱい行ってました。(フィンランドあたりは今でも行きたいです)

その通り、社会人になってから10年で海外旅行は2回しか行ってないと思います。

んで、その記憶だけでも残りの人生は結構楽しいものです。

 

余談ですが、そもそも欲自体がなくなってしまうことも往々にして感じるので、早めに行っていた方が「海外旅行をしたことがある人生」をずっとスルメのように噛んで味わえるようになるので、やっぱりさっさとやった方がいいと思います。

定年後にいこうとかゆっくりできたら行こうなんて人は、人生をあまりに点で捉えすぎです。ずっと線で繋がる思い出であり、事実なのです。

または今のように外部環境が悪くなることもあります。

思い立ったが吉日、というのはほぼほぼその通りだと思います。

 

というわけで、好きなことやって楽しんでいるというよりか

今できることが、できなくなることを前提にしているので

例えば、結婚できなければできないほどに

・海外旅行にいったことがある父親(もしくは夫)

・音楽を1曲作ったことがある父親(もしくは夫)

・踊りを1曲作って祭りにでたことがある父親(もしくは夫)

・ギターが弾ける父親(もしくは夫)

株式投資で1年突っ込んだことがある父親(もしくは夫)

・ひとり暮らしをしたことがある父親(もしくは夫)

・料理が自分でできるようになっている父親(もしくは夫)

・・・etc

という風に、経験豊富な父親(もしくは夫)になれるチャンス増えていくだけなのだと思います。

 

それは単純に早くに結婚ができる、子供が早くいる、ということよりも大切なことだと思います。

しかしながら、配偶者であれ、子供であれ、最愛の人とできるだけ早く、長く一緒に過ごす、以上の幸せや経験はこの世にほとんどないと思っていることも事実ですので

これはベストではなくベターな考え方だと思っています。

(とはいえ、そう考えていた方が、誰かの夫や父親になれた時に自分の自信にきっと繋がるのだと思います。)

 

考え方はあとからついてきますが、経験自体はついてきませんから。

大部分において挑戦できなくなっていく一方です。

 

株式投資で生活を突っ込んだ時も「人生でハンドルを振り切りたい」という思いがありました。振り切ったハンドルを持ってる人生は、やっぱり愛すべき人生だと自分で思えます。(後から)

 

 

 

と、なんの話かわからなくなるのはこのブログでよくあることですが

2021年は、生きる土台づくりに着手したいですね。

・サブスクサービスとか作りたいな〜(現状構想ゼロ笑)

・良い踊りを作って人が発散できるようにしたい。

・うまいハンバーグを作れるようになりたい。

・株式とかちゃんとチェック。

 

 

ブログだと誰も気にせずぎゃいぎゃいかけるね。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。