handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

boring success

もしかしてと思う仮説的な考えだが

 

成功というのはつまらないのではなかろうか。

正確に言えば、

つまらないという感覚の上に、成功は成り立つのではなかろうか。

 

社会的な成功、スポーツ勝ち負けの世界での成功、個人的な成功なんでもいい

予期せぬ成功は再現性がない

(もちろんその1回でいいならこの話とは別だが)

自分の実力以上だと思っちゃうから過度に喜ぶ。過度に喜んだ時点で反対に自分の実力のなさを認めている。

 

一方、成功が予期できるものになると、予期できる時点でその成功は起こりうるものとなる。

 

その確率が100%に近い数字なら、卒なくできることと変わらない。

 

そういう当たり前に近づいていくことが成功率高めることなのではないかと思う。

 

だから、いきなり自分や取り組んでいる物事が変わって成功に導かれるなんてことはないわけで

ラッキーパンチなわけで。

 

とはいえそういう成功を描きがちなんだけど

でも実際は、成功が起こったところでつまらないと感じるようなものでなければ成功とは言えないわけで。

 

 

と思っちゃったのよね。

とはいえ感情に振り回されて一喜一憂するのも人生の醍醐味なわけで。

 

無味無臭な成功と

一喜一憂振り回される失敗と

どっちがいいのか。

 

清濁合わせ飲むのが人生だけれども。

成功するのは前者なんだろーな。

 

つまらない人生だ。

というのも怠け者の遠吠え。

 

社会的な成功が自分の屋台骨になってくれるかい。悲しいけど。

 

spring far away

はる。

 

今まで長らく感じてこなかったような春。

なんとなく近くの公園や通勤徒歩の間に植物や特に桜があったからだろうか。

それとも今日自分が寝不足だからだろうか。

春を心地よく感じる。

 

春はいつだって心地いいけども。

1番好きな季節。過ごしやすいからというただただ合理的な理由で。笑

 

また春を感じたい。これから。

vote

投票率って100%じゃなくてもある程度統計的には民意を反映できてるのでは。

 

もちろん100%が完全だろうけど。

②もちろん年代などでの情報や投票した際の非対称性があるからひっくり返る余地はあると思うが。

 

ただ望まぬ状況に②を言うことで、まだみんな投票してないから!(こんなに自分とって都合が悪いんだ、みんな馬鹿だ!)と言える余地があるのがまだ救いなわけで

 

投票率100%になったらどこにも逃げられなくて

民主主義を否定する話になる気がするが。

 

結局投票というより、望んでるか望んでないかという話でしかないような。

必要なものは自分で決められない

数学や理科は社会に出てから不要だのなんだのと、

 

必要と思った範囲のものを身につけるだけになったら、「想定の範囲」なものしか対応できないのよね。

 

その想定の範囲は、身につけてきたものでまた範囲が決まるから、どんどん縮小するばかり。

 

え、これがここに役立つ?とか、想定外は生まれない。ただ対応できないものになる。

 

必要なもの、という概念自体が不必要なんだよ。

over age 35

わかった気になるというのは何かの形に何かをはめることのような気もするが、齢35を超えてわかってきたことを無理やり言語化すれば100人いれば100通りの人生があるだけだ。

 

人にそれぞれある程度の枠が存在している。限界というわけではなくて、考え方の枠といってもいいかもしれない。癖と言ってもいいかもしれない。ただ枠が限界を設定していることもある。

 

別にそれを知る必要もなければ、ブレイクスルーする必要もないし、人生にそんなものも必要ない。が必要ないことを言いたいわけじゃなく、うまく生きるということはこの癖と生き方をぐるぐる作用させながら回すことなんだろう。

 

まぁうまく生きる必要もないのだが。生きやすくという意味ではいいのかもしれない。

 

もちろんオリンピックやスター選手たちは心技体揃っているのだが、もちろん尊敬の念もあるのだが、そこに優劣は感じないというか、運もあるし、いろんな要素がぐるぐるぐるぐる人生を回したのだなと思う。

 

だからオリンピックは国の話というより、人間が身体的、精神的、戦略的な限界に挑んでいる姿があることとそれを見れるということにおいて素晴らしい。そもそもなんで国だと思ってるんだろうな、それぞれオリンピック支部があるくらいで見ればいいんだよな。帰属意識とバランスが取れれば良い作用する。

 

話はそれたが、だからそれは例えば年収みたいな話でもそうだし、その高低が優劣を決めるものではないと思う。もしかしたらこだわりの強弱は表しているかもしれないが。ただわかってきたと言いたいことはそういうことなのかもしれない。優劣ではなく100通りの何かの要素の組み合わせがあるだけ、何かの組み合わせや何かの強弱があるだけ。初期値が平等だとは言わないが、かけ離れたネオ人間がいるわけでもない。

 

他人とだって同じ部分違う部分掛けながら新しい地平を見る。あるいは掛けられる距離感を見極める。無理はしない。そもそも必要はないのだから。いつだってオプション、問うクイズ。

 

だからなんだって?自分のコンプレックスや嫌なところをひとつ剥がす話なのかもしれない。

BUMP 18祭

youtu.be

 

昨日と明日に毎日挟まれて

次から次の今日 強制で自動更新される

痛くない事にした傷が 見失わない現在地

ここから歌うよ

 

これ、泣いちゃうんだよな。

すごいエネルギーがあって、藤原さんも力があって、メンバーは優しみがあって

18歳は爆発してて、ほんとにこの動画は最高、毎回泣いてる。

 

幸せの呪縛

「あなたが幸せならそれでいい」ってだいぶ個人の幸せが尊重される世の中になったよな。裸で生まれて死ぬ時に服一枚着てたらOK、みたいなところからすると大分欲が強いように思えちゃう。幸せじゃなかったら人生否定されるか?幸せの呪縛。幸せじゃなくてもいいから生きるを繰り返して欲しいよ

とりとめなく雑記

Xってわけじゃないけど、そのタイムラインのアルゴリズムによって「思わされる」ことが多くなっている気がする。

 

なにか言いたくなっているとき、なにか「言わされている」可能性を考えないといけなくなった。

そうすると結果的に何を言う気もなくなっていくような。

ネットに反応せず、自然に世界に反応するように心がけなくては。

 

心に決めたことは別に公表する必要もないし、

おいしいものを食べても教えることもない。

特に食べ物は、お金がなかったときにタイムラインに流れてくるのに嫌気がさしてしまって以来、モラル的にできるだけあげる気もなくなった。

なにかを一緒に祝ったりするにはいいかも。世界的なスポーツとかね。

 

youtubeとか観ててもコメントも楽しみにしている自分もいる。

コンテンツだけじゃなくてその反応もコンテンツのひとつ。

 

最近気になることは

良いインテリアの考え方はなんだろう。

ただ綺麗とかおしゃれとかじゃなくて実用的な、掃除もしやすいインテリア。

 

こんな感じの誰も楽しみにもしてない文章を書き綴るくらいが何の目も気にせずいいかもしれない。

 

自分が何を考えているのか、可視化が必要なような。

リアクションではなく。