handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

タイトルなし

ドラマに一喜一憂する。

それを表現する。

 

ドラマはコンテンツだからいい。

一喜一憂させるためにあるものだから。

 

でも死は違う。

私を一喜一憂させようなんて意味はこれっぽっちもない。

意見をするときの論拠でも、引き合いでもなんでもない。

「悲しい」なんか述べようものなら、それは人を”消費”しようとしてるのではないかと自問してしまう。

 

ただただ受け止めることしかできない。

もしくは受け止めることさえできない。

 

「悲しい」と表現した数時間後に、ドラマの感想を表現できるタイムライン。

数時間後には忘れてまた新たな消費。

 

だから口には出さない。

”消費”してしまうから。

同列の”消費”にしてはならないから。

このようなことを書くのは2回目だけど

これも間接的に消費してるようだからもう書かない。

 

あえて言うのなら

なんだってコメント、しなくていいんだよ。

できないことをできるようになるためにまたは戦うために。

できないことというのはこの世にいっぱいあるけれど

できないことの解像度をあげると中には改善できる要素があって

そこを改善したらできるようになることもある。

 

例えばアポを獲得する電話がなかなかうまくいかなかったりする。

その時、アポ電話の要素ってのはたくさんある

・電話する先

・電話する時間帯

・電話の最初のトークスクリプト

・担当者につながった後のトークスクリプト

・声のトーン

・間

・モチベーション

・電話する回数・・・など

 

電話のする数が足りないんだよ!数をこなせば慣れてくるよ!

もっと明るく話して!

と言うのは目に見えて簡単だ。

 

でも、これらは人によっては無理なんだと思う。

 

一方、トークスクリプトを毎回相手によって変えたり

調べられる範囲で下調べをしてから的確にコミュニケーションをとるみたいな

丁寧なコミュニケーションの方が向いている人もいる。

明るくはなくても成果に繋がったりする。

 

ようは何を言いたいかと言うと。

・何かを達成するための手段ってまず、唯一1つではないということ。

・手段の中には自分の特性上できるものとできないもの、避けたいものとあまりストレスに感じないものがある。

・自分のストレスの感じない戦い方を貫いた方が結果を残せると思う。

 

最終的にやっていることに関して概念的に自分が疑問符があったら、できないと思うけども。

疑問を持つなと言うことではない。

これ本当に意味あるかな?と思ってしまうようなことはしない道を選びたいということ。

 

 

なんでもできる存在ではない

何もできない存在であることとと

何でもできる存在ではないことは

全く違う。

 

なんでもできる全能感でもなく

何もできない卑屈さでもなく

 

何でもできる存在ではないくらいが丁度いい気もする。

 

人生の解像度。

 

position

ほんとに、何かを選ぶことは何かを捨てることだし、優先度高くそれをやるべきだったのか当時から思ってたし、未知のものに対して過小に看過するのも謎だし、あの時点でどこかのポジションを取ろうとすることがあの時点で全く謎だった。

未来に期待せず、今バランス取る

最近Twitterの話題がひとつに染まることが多い。

SNSを見れる時間が増えたのだと思う。

 

忙しかった方が、時間ができてSNSを見て

政治に何か意見を言うようになったこともよかったことだと思う。

一度考えたことはずっと頭の片隅に置いておけるだろうから。

 

私一時期株をやっていて、でも稼ぐことができなくて

お金かかるから家からもあんま出なくて、図書館とか行きまくってた時期があるんですけど、もう少しで何かつかめそうだとか、このトンネルを抜ければ幸せになれるんだとか、そういう思考になりがちだったんですよね。

 

で、結局はその先に行けたかというといけなかったんですけど。

何が言いたいかと言うと、「その先」に期待しすぎることってあんまりよくないと思うんですよね。

現状を否定して、現状を大切にできなくなっちゃうから。

自分は、世の中は、人生は、こんなんじゃない!って否定して過ごすだけで終わっちゃうから。

 

私は否定しながら、その自分が否定している時間がだんだんと長くなっているのが恐ろしかった。

長くそこにいればいるだけ、否定すればするだけ、その否定した人生が自分の人生になっちゃっていくわけだから。

 

やっぱりそこからはあんまりポジティブなものは生まれないんですわな。

 

だから、これを我慢すれば・・・とかの考えはあまり光を見出せないと思う。

 

まぁ個人が選んだ選択と、社会的に迫られている状況じゃ少し捉え方違うかもしれないけど。

 

これが終わればまた会おう、なんていう曲は現状の否定だからやだな〜と思ってしまう。長くなればなるほどその曲は力を失ってしまうだろうから・・・。

 

今バランスをとらなきゃいけないと思う。今。

結果的に幸せ、みたいなことはあまりないと思う。

過程が幸せだから幸せなんだ、と思う。

 

 

判断を迫られているのは国か?自分か?

何をして良くて何をしないべきなのか?判断するのは国か?自分か?

 

 

 

何かを生む行為っていうのはすぐ時間が過ぎ去っていくのでやってみると良いかもと思います。

絵でも音楽でも工作でも文章でも

何かを生んでると意外とポジティブになれたり、自己肯定感が得られます。

目に見える達成みたいなものがあるからね。

 

そーだ、オンライン塗り絵とかみんなで1時間とかやるのどうかなー??

無言でもいいし、適度に喋っていいし、で達成感あるし。

いいかも。(思いつき)

エンタメの性質

漫画は娯楽に近いけど、映画っていうのは2時間で何かを得たいて思っちゃうんだよなきっと。何かを渡そうとしない漫画、何かを渡そうとする映画というのがバランス的にいいんだろうな。駿さんが言ってた1階から入って2階からでるような感覚を目指すというのは映画特有のこういうことかと突然理解した。

 

仮説だけど、漫画は全てが人の手作られ全てが意図の上で成り立つから、演出的な意図もテーマ的な意図も敏感に露骨に見えがちで、映画は実写によりそれが薄まるからちょっと意図が見えるくらいの方がバランスとれるのかも。

漫画(アニメ)で2時間の映画っていうのはそのバランスで成り立つからなかなか難しいのかもしれない。

 

じゃお祭りの踊りはどんなもんでしょう?と考えてる。

意図と演出のバランス。

 

日常に近いものなら意図とかテーマ性とかあんまり無い方がいい。地元に愛される変わらぬ味みたいなね。

 

映画のように4分で得した気分になって帰ってもらうならゴリゴリ衣装、伝えたいテーマ、何かを伝えよう伝えようとすること。

 

考えて思ったけどどっちでもないな。笑

 

 

 

見て得ではないだろうし、変わらぬ味ほど優しい味じゃないだろうし。

 

やって得。

 

だよな〜。