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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

合言葉は勇気

なぜだか、小学校のころに面白くて見ていたドラマに「合言葉は勇気」っていうのがある。2000年にやっていたそうなので、14年前だ。

 

ちっちゃい村が裁判で勝つためにああだこうだする三谷幸喜さん作品。

 

その中で鈴木京香さんが話した言葉がその当時からずっと残っている。

「よくドラマで大切な人が亡くなってその場で泣き崩れたりするでしょ。あれは嘘よ。本当は日常にいつもその場所にいるはずの人がいないことを知って初めて涙が出るのよ。」

っていう言葉。

 

ちっちゃいながら、「あぁそういうものなんだなぁ」とすごく思った覚えがある。

 

僕は昔に書いた。

でも、自分が死んでもいいからこの人助けてよ!ってどれだけの人に言えるのだろう。

 

そして僕はその人が亡くなったときに悲しみに明け暮れるのだろうか。

あんまり周りの「死」というものにも直面したことがないからか、

「死」を特別視しないようにしているからか、

例え誰が死んでも(親でも兄弟でも)「多分泣かないだろうな」と思っている。(泣くことが悲しい悲しくないの基準ではないのだけど)

 

この泣かないだろう自分にも嫌気がさす。

愛することについて語るときに僕の語ること - handmade

 

でも、そんなんじゃなかった。

私の想像は、実際に及ばなかった。

 

母が乳がんという告知を受けたことを知った。

 

もちろん乳がんはモノにもよるし、比較的軽いものだったり、

早期治療で完治もできるとされている病だ。そんなことはわかっている。

 

それっぽい話を聞いたときも、その告知をきちんと聞いたときも

意外と心は冷静なのだ。

 

でも、それよりあとに、母が居ない家と母のご飯が出てこない食卓を想像したら

ちょっとやっていけなくなってしまった。行きの電車なのに。

 

それはもしかしたら身近なところにあるかもしれないのに。

縁起でもないというかもしれない、でもそれは事実としてすぐ隣にあってもおかしくない。

 

あぁ、この味を再現できる人は、この世の中にもう一人だって居ないんだ。

って想うのはとてもとても寂しいことだった。

何も食べ物に関して悲しいとかそういうことじゃない。

そこにあるべきはずのものがないってどういうことだろうって一番身近に

考えられたのがそれだったんだ。

 

その声と存在と思考回路と動きを同じにできる人なんてこの世にいないのだ。

誰だって誰だって。

 

私は、今でも情けないながら母に負っている部分が多い。

情けないけど家のこととか自分のことでさえも母に聞かなきゃわからない部分が出てくるだろう。

とはいえ、泣いてなんかいたら、私はやっぱり役立たずのまぬけになってしまうので

ちょっとでもなんか、なんかしたい。

それは孝行とかあからさまな、そういう類のものじゃなくて、なんていうか、

きちんともっときちんときちんときちんと

生きたい。

 

さっきのエントリーで愛することについて過去に書いてたのだけど

愛は情には代えられないって書いたけど

私が生きてきた25年間、おそらく一番長く見守ってくれた25年間は

愛にも情にもおいて、いろんなものが積み重ねられ過ぎている。

小さいころから、この25年間には些細な些細な思い出が詰まりすぎている。

 

それは愛じゃないとか情じゃないとかそういう次元を超えて

もう生まれてからの25年間が詰まっていてそれはもう引っぺがそうにもとても

はがれそうにもない、とても厚いものだ。

そういう重みを今感じている。

 

今想うのだけどきっと付き合うということも、いえ結婚するということも

こういった一見してよくわからない何十年っていう歳月をくそほど増えていく思い出を

一緒に積み重ねていくということなんだと想う。

一緒に積み重ねたい人と積み重ねるのがいいと思う。本当に。

付き合うっていうのはその一番最初だ。

そしてその何十年、膨大すぎるそいつはこういうタイミングでやってくる。

そのとき、その厚みを知って、より大切になるんだと思う。

時間を無駄にしないで欲しい。

 

生きること。

Cause They Got Nowhere To Go
That's Why I Want You To Know

 

合言葉は勇気。