handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

何をして喜ぶ?

リクルート出身の営業本とかを読んでいると、「そもそもこの人と私って何が嬉しいとか何が楽しいとかっていう感覚が違うんじゃないか」って気にさせられる。

仕事ができる、人脈が広い、営業スキル万歳、何億の仕事がどう…。手に取ったのは確かなんだけど、なんだか

実体験として、コンペに勝って受注して、って体験をしても、それってそんなに嬉しいことだっけ?ってなってしまう。(あぁ天邪鬼)

コピーが採用されたのは少し嬉しかったというか、あぁ良くやったねぇと思えたけど。

仕事しててそれ以上に昂ぶることがあんまりないなーってことに最近気づく。
あれ?嬉しくないの?みたいに言われることもあるし。感情をどこかに置いてきたんかいな。

それはそんなにコミットしてないから?

いや、コミットしてても、淡々とやるべきことをやっただけだなー、みたいで血が通ってないんだよね。むしろ通わせないのがビジネスだと思ってる節もあるくらい。(もちろんそうではないことも承知なのですが)

どうしたら血が通うかな。

通わせたいわけではなくて、ひいては何をして喜ぶのか自問している。

だって仕事も例えばねぶたの燃焼感には敵わないじゃない。

ねぶたの高揚感はもちろん環境やら全ての他の要素が絡むんだろうけどそしてそれを仕事に(どんな仕事かはさておき)したら熱がなくなるんだろうか。

いや、「仕事にしたら」という表現はきっと間違っていて、自分がやりたいからではなく、誰かに頼まれ、誰かに提供するものに置き換わったら…だろうね。

楽なのは1人であるいは好きな人と、ちこちこやって「面白いだろー!」ってやってることなんだとおもう。踊りもそうだし、ラジオもそうだし、スタンプもそうだし。誰かのためではなく、自分がにやっと笑うための活動。

そういうことに価値を発生させたらいいんだろうけど、それってどういうことなんだろう。

考える。