26歳となりまして。
先日誕生日を迎えまして、おかげさまで私も20代の後半
26歳になったようです。
なんか仕事だったり、プライベートだったり思うことはあるような気がするのですが
Twitterにもちょろちょろ垂れ流しているので、ここにあんまりまとめられませんね。
これは、と思ったやつは、まずblogにアップするようにしましょう。
んでエッセンスだけTwitterにアップするスタンスにしましょう。
それがどんな短文であれ。
では今日ふと考えたことを書きますね。
AならばBという式が成り立つはずの場合、
AだけどBにならないという問題がおこったら
Bにならないことをおかしいと思い込んで、自分が間違っているだとか
失敗しただとか、考えがちなこともよくあることです。
でも、そもそもAならばBという前提がおかしいと考えることもできます。
誰がAならばBなんて決めたんでしょう。
例えばね、
何にしても「徹底的に逃げる」っていうのもある種の選択だなぁと思うのです。
けれども、それで悪い結果になった時に「あのとき逃げたからだ…」って思うのは短絡的過ぎる。
結果によって判断が間違っていたと簡単に認め、自分の嫌なところのせいにすればなんとなくわかった気になって自戒できた気になって、◯◯しなかったからだ、と簡単な答えに飛びつく。
逃げというからきっとマイナスに聞こえるのだけれども、◯◯をしなかったことにも誇りをきちんと持てよと思う。
嫌な人や嫌な仕事があったら徹底的に関わらない。
それで得るマイナス捨てる、ただもちろんプラスも捨てることになる。
でも代替案、いやより良い案を必死で考える。
逃げという言葉を使って説明したけれど、それは果たして「逃げ」かね。
逃げだ、不道徳だ、不義理だ、って状況と前提条件によっていろいろ変わるよ。
徹底的に逃げれた人がきっと未来を拓くのよ。
我慢してたらそのまんま。
となんとなく思いました。
一言。
先日は誕生日だったのですが、まぁ祝って欲しいとか別にそこまでありませんが
(歳をとるごとに若い時は一大イベントだと思っていたことが、普通に日常のように過ぎていくように感じてしまうのは一体どういうことなんでしょう笑)
少なくとも私に興味をちょっとだけ持ってくれてる人がいてくれることがわかって嬉しく思います。
だから昔に好意があった人から連絡がない、という事実は私にひとつの時代の終わり
をそっと知らせてくれているような気もしますね・・・笑。
生きていればいろんな事があります。
このたぐいのことにはすべてのことにおいて時間がかかるかもしれません。
そして、まぁでも大事なのは、誕生日とかを祝うとか、そういうイベントよりも
ほんとに些細なことなんだろうと思います。メールでもLINEでも会話でも、
ここをこう返してくれればなぁとか、ここってもう一言いるでしょ、みたいな。
一緒に生活できるかなぁってきっとそういう細かいところで感じるところが多い…ような気がしています…。しゅるるる。
あんな時代もあったねといつか笑って話せるわ。
だから今日はくよくよしないで今日の風に吹かれましょう。
まわるまわるよ時代はまわる。喜び悲しみ繰り返し。