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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

次世代リーダー会議とマザーハウスと

今日は次世代リーダー会議という学生の(創った)イベントに(聴衆として)参加してきました。

思ったことを率直に言うと、中身的にはちょっとどうなのかなと思ったけど、最後山口絵理子さんの言葉で全て上手くまとめられていたんじゃないかと思う。

それはまた後に紹介する。

僕もただの聴衆であり、あれだけの人を呼ぶ(ゲストとしても、お客さんとしても)を相当な労力が必要だろうし、中身を考えるのも相当な労力だろうし、その苦労を僕はわかっていない。

本当にこんなこと書くこと自体失礼にあたるのかもしれない。

でもそれを承知の上でなんにも知らないような顔しながらとりあえずここに記しておきたいと思う。

メモにしたがって書いていきたい。

初めて拝見した山口さんの話を聞いた感想

思ったより声がしっかりしていた。柔道をしていたおかげか腕の筋肉がしっかりしてた。

最初は主に本にも書いてあることで自己紹介されていた。

きっと何回も何十回も何百回も講演されてきたんだろうなぁと馴れた口ぶりだった。

(昔、早稲田で夜回り先生の講演聴いたときも同じことを思った。あの人は格別うまかった)

(それまでにいろいろな経験を経ているのだけど)

バングラで必死に手足が動かなくても水を売ったりして生きている人たちをみて

誰かを手助けするよりもまず自分の「やりたい」をチャレンジする責任がある。とのことを話していた。

僕はこういう話の方がしっくりきている。

前に書いたように、「誰かのために何か」があるのではなく「何かを誰かのために」なるようにするのが本質だと思うところがあるからだ。

極端な話、やりたいからやってんだバカヤロー!みたいな。

途上国、あなたたちのためにやってるのよーって雰囲気がないのだ。そんなものいらないと思うが。

だから、別にプロ野球選手ともなにも変わらない選択なんだろう。

やりたいことやっている、でもそれが夢を与えたりもするわけじゃないですか。

まぁでもプロ野球とかよりかは、厳密に言って社会をどうにかしたい欲はあるんだろうなぁ。

うん。

そう、だからむしろ講演とかでも(講演に出ること自体何かメッセージの発信なのだけど)、聴いてる人の気を変えたいだとか、どうしたいって気はあまりないのかなと思った。

実践向きな方なんだろうな。

「社会を良くしたいんです!だからみなさん踏み出しましょう!」なんて言い切っちゃうような人よりかはよっぽど良いかもしれない。

すごく自分のやっていることに集中しているというか・・・(本を読んでも思ったことだけど)他の人をどうこうさせようって気はあまり感じなかった。(自分だったらそこを気にしちゃうけど)

でも、現地の人へバッグを買った日本人を本当に紹介したりしていてそれが本当に現地の人たちの光となる、と言っていた。ダンボールに詰めて終わりのバッグがどういう結果であるのかを知るとやっぱり変わってくるそうだ。現地の希望を灯すことには力を注いでいらっしゃるみたいだ。

しかし疑問に思ったのは、そういうものはバングラ発でなぜ生まれないのかだ。

確かにそうやって希望を灯すのは大事で素晴らしい。

でもなんで、日本からやってきた人に希望を灯されているんだろうか。

バングラ発の希望は生まれないんだろうか。

そう思った。これは別の機会で考えたいと思う。

次は松田公太さんのお話だった。

名前とかはよく耳にしたりfollowしたりしていたけど話を聞くのはこれが初めて。

日本を世界でやっていけるように!的な話だった・・・(かな?)

思ったこと

「いわゆる帰国子女」って自分のことを第三者みたいにいえる帰国子女はどれだけいるんだろう。客観視だなーと思った。

セネガルで暮らしていたそうだが、セネガルでは日本なんて知られちゃいないらしい。

思ったこと

日本の教育はやっぱり凄いと思った。

それなのにあまりそこに気付いていない。自分らだなと思った。

たとえセネガルといわれても「あーアフリカ?」ぐらいわかるだろう。それってきっと凄いことなんじゃないだろうか。だからもっと世界を舞台になんかできる気がした。

食文化の違いも話していた。

昔、ウニ・生魚を食べているのが理解されなかったらしい。

思ったこと

きっと欧米からすると、ウニとかを食べるというのはゴキブリ食べているように映るんだろうか。

そう思うと、きっと文化ってもので気持ち悪さってものが規定されるんだなーと思った。

先入観に染まっちゃってる人間がそれをとっぱらうのはなかなか難しいことなんだ。

さて、学生からも登壇者がいて話をしていた。

学生が出ると、山口さんや松田さんとの差がすごくあって、あぁ学生団体の代表だとかNPOだとかの代表でも結局学生なんだなーと傍から見てて感じてしまった。

そして考え方も学生っぽいってか、せまいんだなーと思った。

学生の時間があるうちにどうのこうの、何かを残したい、とかって話すんだけど(俺もそういう一部だったんだなって思い知らされたけど)

山口さんなんか大学4年で初めて途上国行って今やってることにつなげちゃってるから。自由があるうちにとかっていう次元じゃないんだよね。

そんなスパンで考えてないんだよね。

そんな型にはまってないんだよね(もちろんそこに葛藤はあったろうけど)

元から自由なんだよな。

なんで学生の子は学生が4年間だと思っているんだろうか。

なんで学生の子は学生の次は社会人だと思っているんだろうか。

なんで学生でも社会人でもないなんでもなんにも所属のない自分を排除するんだろうか。

勝手に期限決めなくてもいいのにね。

今のうちに・・・なんて言わなくていいのにね。

って思っちゃった。

なんか熱そうなこと言っているんだけど、そこに本気で実践して人生そっちにハンドル切ってる人が目の前にいるとなんだかその話もすごく滑稽に思えてしまった。

そして、学生学生って学生は何かと「学生」をアピールしたがるけど、なんなんでしょう。

学生初とか、運営みんな学生でとか。

何アピールなんだろう。ハンデアピールなのかな?(僕にはそう聴こえてしまう)

なにもノウハウないけど金もないけどやったのよ、すごいでしょ?って代わりに「学生」って言葉を使っているように思えてならない。

それは自分が「学生」であることの甘えじゃないの?って思ってしまう。

そんなに学生言いたいのなら、テレビに取り上げられるとか、政治を動かすとか、会社をどうにかするとかしてから初めて「学生でした」って明かして欲しい。学生である甘えを最初から使っていたら学生が「学生」である限りいつまでも社会で勝負できない気がするのだけど。どうだろう。

そして、「恩返し」って何か言う。20数年で恩を日本に返したいと思えるなんて立派過ぎる。

そりゃあもう相当な幸せをもらったに違いないんだろうなーうん。

だからこういう話はなにかしっくりこなくて、やりたいことをやることが恩返しになるようにすればいいじゃんって思ってしまう。

なんで恩返し第一に考えてるんだろうって。それが本当に恩返しできれば本望でやりたいなら別にいいけどさ。

ひねくれている僕からすれば、こういう人たちは「何かのためにやっている」ことが輝いて見えるんだろうなぁと思う。

山口さんへ「原動力はなんですか?」って質問があったけど

原動力・・・うーん・・・原動力というより、できると思っているからなぁ・・・て感じでした。

できると思えることが原動力、そして次の扉を開けていくことが原動力だと。

うん、そうだよな、と変に納得。

そりゃできると思ったらやっちゃいますよね。って感じ(笑)。

案外そんなものも良いんだろうなーと思う。

なんか凄いこういう人たちと飲みたくなった。くどくど話を聞きたいと思った。

でも、そんな時間は多分ないだろうから限られた時間で自分が聴きたいこと(自分がにやけられるもの、心躍ること)を訊く技術というか力というか空気を読む、理解するという力が必要だなとしみじみ思った。

んで、学生が言うことってとかくぼやーっとしてしまう。(しょうがないんだけど)

一人ひとりが変わりましょう!とか一歩踏み出そう!とか、それは一体なんなんでしょうね。

「熱い」ことに憧れがあるんだなーって(周りが熱いと冷める)天邪鬼の僕でした。

ぼやっとするから説得力に欠ける。

んで、ここにきて言うのもなんだけど、このイベントのゴールってなんだったんだろうなぁと

何を伝えたかったのかなぁと

どうなってほしかったのかなぁと

何か残したい(感動、憤り、嬉しさ、etc)とかってよくみんな言うけど、運営側は結構狙わないとだめなんじゃないかなぁ。何かを残したかどうかはただの結果であるから、何を残す目的はないと結局だめなんじゃないのか・・・?(ま、言うてもゲストも呼び、難しいのでたいしてつっこみません)

んで、そんなこと思っていると

客席のほうから、「もっと喋れよ!」とか「つまんないよ」とかって声がとんだ。

中には意見する人もいて(ここにも運営の趣旨が曖昧なためなのかそのまま意見が通ってしまうのだけど)

雰囲気が悪くなった。うん。

まぁ、そういう意見も取り入れつつって感じで流れていったんだけど、

最後の山口さんのまとめが本当に良かった。

会社立ち上げるときに毎日批判された話をした後に

「口だけで言うのは簡単なこと。でも1番大事なのは実際に行動にうつせるかということ。どれだけの批判にさらされても」

というようなことを話していました。

何がいいのか悪いのかもやってみなきゃわからない、このイベントだって新しいシステム(twitterとか)取り入れたりして、こういうイベントやるの初めてなんだもん、それはしょうがない。

失敗かもしれないけどそれはやってみなきゃわからない。

「それだけ新しいことやってるんだもん。やってみなきゃわからない。」

とおっしゃってました。

言葉の重みが違いすぎて感動ってか目が覚めました。

そうなんだよ。

「新しいことやってるんだからやってみなきゃわからない」んだ。

そして「やったからこそわかる」んだ。

そう最後メッセージを発信した山口さんすげぇと思った。

(とまぁここまでぐだぐだ言ってるだけをしている僕が言うのもなんですが)

stompやったときも、「初めてなんだから、失敗もくそもない」って言ってたのを思い出しました。

みんなで「初めてだものー」っと言っていたのをすごく思い出しました。

何か近いものを感じておぉって思ったのでした。

んで、マザーハウスへ直行し、暑い中の来店を労われ、アップルティーをいただいてしまった。

(バッグ屋さんなのに(笑))そーいうの好きです^^。入谷店にバッグの在庫がなく小田急店に取り置きしてもらったのだが、どちらの店員さんも親しみやすくてよかったです。

なにかニオイを感じますよねー。早稲田で関わってきた人たちと同じようなね。(笑)

店員さんベースで考えたことなんてなかったなのに。

そして今日の講演を思い出しながら、「失敗かもしれない。でもやってみなきゃわからない。それだけ新しいことやっているんだから」というのを思い出すツールとしてもバッグを買ったのでした。

ビジネス的な観点からするとそういうブランディング(たまたま僕がそうなっただけかもしれないけど、そこになにかしら想いを込める人も他にもいるだろう)って大変だなーと思った。

フルオープンでストーリーを語ってきたマザーハウスだからこそできることなんでしょうな。

僕だったらどんなブランディングを考えるでしょうか。どんなストーリーを付加するだろうか。

そんなことも考えた1日でした。

うむ。