handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

difference

あいさつ

フライングゲットのベースベキベキでオープニングを飾ってHifanaで踊る。←今ここ。(笑)

編集しよう。←今ここ

どうも。

さて、未来会議の続きで大学の先輩と話しましたときに。

自分の感覚の中では、(就活の時からうすうす感じてはいたのだけど)社会人と学生ってなんかこう違うよなぁって感じるのでそれを、言葉にしていきたいと思います。

なにが違うんじゃろ。

(一般に社会人とか学生とか書いているけど、これは職種とかやってることによって違いはあると思うのでね。)

まず、ほとんどのことが手間がかかって面倒くさいということ。に気づく。

例えば、学生イベントならチラシをつくって配って広報しよう!とかなりますよね。

学生の頃は、「まぁ、イラレとかちょっと出来る人にちゃちゃっとやってもらうべやー、印刷もその辺でネットでできるでしょー」くらいの感覚なんだったけど。

例えばこれを入社9ヶ月目の思考で考えると

そうしたときに、誰がチラシの方向性を決めて誰がデザインして誰が印刷を頼んでどこで印刷して誰がどこで何を目的にして配るのか・・・そして、それにそれ相応(デザイン代、印刷代、労力、時間をかけるだけ)の効果があるのかってことを考えることが必要になってくるのね。

なおかつ、それをお客さんにやりませんか!?って要求するならば、もっとそれ相応のメリットがなきゃ人って動かないのだよね。

(まぁ確かに学生の時は権限はほぼ自分たちにあって、自分たちの好きに決められるからどんなことになっても(例えば効果が見えなかったとして)自分たちのお金がちょっと減るだけだから別に痛くもない。それはそれでいい。社会人だから組織の一部に属しているから自由が効かないとか、そういうことを言いたいのじゃなくて、あくまで感覚の話。学生の時はそこまで頭回ってなかったよね?って話。)

違う視点から言うと、だから学生イベントとかの「協賛獲得のための営業」っていうのは、結局温情に訴えるしかないのだと思う。つまり、本当に協賛をすることでメリットがあるのか?ってことまで納得させられるまで論理立てたモノがあると、もっとうまく協賛営業もできると思う。(でも、そういう思考じゃないからやっぱり(例え考えていたとしてもそこまでのレベルに達していないから結果的に)温情に訴える現状。)

(もちろん、話聞く人を納得させられるうまい営業ができる(ここでいう)社会人思考ができる学生もいると思うよ)

今更だが、学生の時はこの点を「広報戦略室」的な位置づけで活動するべきだったのよねー。

そうするとだいぶ社会に近づいて活動ができたと思う。

(そして、そういうことをしようとするとそれなりに時間も労力がかかる。)

次に、そーゆーことを考えるのにも時間と(手間と)慣れが必要ということ

さっきのようなこととかを、なんとか書いて「ふーんなるほどね」とは、なるのだけど

実際にじゃあ、その「本当にメリットになること」は何か?ということにめっさ(ない)頭を使っている現状なのです今。

僕もね、学生の時は考えるのが好きだったしふと考え事もしちゃうタイプだから別に考えるのは苦じゃないと思ってたわけ。ブレストとか好きですよ、ふふん!とか構えてたわけ。

でも、それも今思うと

「考えたいときに考えるのが好きであって、何に対しても「考える」その行為が好きなのかは「?」状態」かなーと。(イマイチまだ答えはだせないから「?」にとどまる。)

これって多分学生の時にやっていたすべて何でもそうで

(やりたいことやって暮らしているなんて言って実はやれることやってただけでしょー?とSURFACEは歌っていたけど)

やりたいことをやりたいときにやってるから好きなんじゃないのかってこと。

だし、気ままになんの責任も負わずに考えていることが好きなだけじゃないのかってこと。

(違う視点で言えば、就活なんかは、ホント気づかないうちにやっているレベルのこと(本当にうんうん唸った末にやっと気づくレベル、好きと自覚すらできないこと)を軸に考えてみるといいんじゃないかなー。)

だから、今の「社会人な感じ」に合わせていくことが必要だと感じているのだ。

(もちろん、実際に仕事してて上記なような発見に出会うこともいいことだと思うよ。いくら頭の想像だけではここまで辿りつけないだろうから)

ターゲットがどうのなんのいつ配ればいいのなーんてどう考えるかという「考え方」も必要だし、ともかく「考える事」と一概に言えど、その種類が違うし、頻度も違うし、いろいろ違うわけです。

だから、働くための頭の使い方が必要なんだなー(シフトしていかなー)って感じる今日この頃。

んで視野を広くしないといけないということ。

なにか、かっこ良く視野とか書いてみたけど、

要はWin-Win-Winな関係に持ち込まない限り話が進んでいかないということ。

先の考え方とかと同じになるけど、自分だけではなくて、関わる人(企業)への想像力をいっぱい働かせること。

そして、時間の感覚

学生は毎日夏休みみたいだから(笑)、例えば予定を決めるときでも、えーいつにしますー?来月ですかー?とかなんかのんびりしてない?(笑)

なーんか焦りがないよねー。(今の私もそうかもしれないけど!)

(これは完全に偏見でしたね(笑)ごめんなさい。)

あと、表現によって人が思ったより左右されること

個人的にね、学生の時は

例えば、そこに「おいしいみかん」があったとしたら、それがあればいいし(モノが重要であって)、おいしいかわからないならそれ「食べりゃええやん」と思っていたのです。

(就活とかでも、別に無理に何かを表現しなくても「自分」がいてそれわかってもらえりゃええやん!と。)

でも、働いてみると、すごく人って表現に左右されるのだなと思った。

(まぁ人に対してはそうであって欲しくないけどね、少なくとも商品とかモノは。)

例えば、「おいしいみかん」でも、背景にみかん農園のおじさんの笑顔、とかこたつでぬくぬくー

とか描かれているとそれだけで、みかんに対する好感度があがっていくんだよ。

そんなの言葉遊びじゃないかって思うけど、本当に一見さんは、それしか情報がないから

そこで全てが決まっちゃうんだよね。「おいしい!」って書かれるのと「うまい!」って書かれるのじゃ多分微妙な差異があるだろうね。そういうところを突き詰めないといけないのだ。

そーゆーのが大事って思わされた。おいしいみかんをつくっているだけじゃ何も解決にならない。

(まぁ、最初からそういうことを担当する仕事なんですけどね(笑))

んで、多分こういうのって会社とか職種によると思う。

表現に関わる会社だからきっとこういうことを思わされるのだろうと思う。

あと、「やる」ということが本当面倒くさいということ。に気づく。

大学の先輩とも話したときに、例えば

コンサルはデータとか分析したりとか、セオリーがあったりとか、先人の教えがあったりとかで、そういうのを突き詰めていけばある程度の正解にはつながっていく

でもこの表現とか入ってくると、正解(選択肢)が多すぎて、筋道が多すぎて何をどうすればいいのかわからなくなるんだよねー。

という話で結構腹に落ちた。

例えば、コンサルなんかで、「女子高生をターゲットにして展開していくべき」

となりましょう。(コンサルも死ぬ思いでこういった答えにたどり着くんでしょうけど)

その先からがこっちの仕事でじゃあ、それを達成することって何?って考えたらアイデアの数だけ方法があるのです。カラオケボックスから攻めるのか、カフェから攻めるのか、学校か、はたまたバイト先か・・・

この「じゃあそれどうやってやるの?」を考えるのが、大変ですし、一番頭を使うとこ。

対比させると・・・

例えばね、学生だと

講義で「Aという商品を売れるのはどういった広告戦術がいいか?」とか出るでしょ。

それをレポートにまとめておしまいなの学生って。

・価格帯を調べる

・購買層を調べる

・ターゲットを絞る。

・コンセプトをつくる。

・市場調査する。云々カンヌン・・・・・・・ご立派。

でもそれを本当に実際にやるときってどのくらいのめんどくささがあるか想像できるかって話。

購買層はどうやって調べるの?実際に買っている人にいくつですか?ってきくの?どうするの?

とか。

机上で終わっちゃう。

本当はその先の実際が難しいのですよ。先の言ったみたいにみんながWinになれるような答えを見つけつつ、利益を求めるわけだから。

(学生はこの利益っていう感覚も少ない。)

大体今思いつくのはこれくらいかなー。

とか、なんとか書いて、学生クソ。社会人クソ。とか言いたいわけじゃないのです。

むしろ、9ヶ月働いてみてこういうことがわかったよ、と言いたいわけです。

つまり、学生の時にどれだけ想像してみても、それとは感覚的に違うし、社会人の感覚にはなれないと思う。

だから学生は学生であるうちは学生の域を越えないし、別にそれはそれでいいと思ってる。

もちろん、中には越えてくる人もいると思う。

だから、変に想像ばっかり膨らまして学生の時に社会人ぶってみたり、どうのこうの大きいこと言い出したり気持ち悪い学生にはならなくていいんじゃないのーって私は思う。

わからないからって放棄するではなく、わからないからうんうん考えてでもやっぱりわからないって答えがでるまでうんうん死ぬほど考えるといいと思う。

兎角、学生は大きいことを言いがちなのだけど、(社会に出てからも)いかに自分が小さいことをやっているかを自覚して、ならその前提の上でこういったことをしていくって感覚の方がリアルだと思うんだよねー。

(大きな夢を見るなと言っているわけじゃない。夢の実現難易度が高いなら、自分のサイズも踏まえた上で叶えるべく現実的に考えていこうぜってこと。)

そして、大企業に入ったらこんな感覚持ててたかなー?と思う。

考える事なしに、「やるべきこと」があって、それに従っていくだけじゃないかなーと。

仕事なんてある種のゲームだとも思っているのだけど(先輩との話の中でそういう考えがでた)

(だって、例えば会社のチョコが売れようが売れまいが自分の人生に直接関係ないのだもの。)与えられたゲームをやっているだけなのだけど。

その手を動かしたことでなんとなくやった気になって会社の中で「できる人」になった気になって

40とか迎えるとか考えると、怖いなーと思うし、価値の付けられる「考える仕事」でよかったなーとも思う。(もちろんどんな仕事でも、考えることはあるし、自分に価値をつけることは可能だと思うが)

(大企業にいることがいいこと?悪いこと?かはわかりません。)

まぁつまり、今のうちにいっぱい考えて、いろんなケースを経験して、ストックしていこうってこと。

んで、なにがなくても自分の価値を売ることで生きていけたらいいよねーと。

気楽に地方でのーんって経営しながら、のんびり暮らせたらいいよねーってこと。(笑)

ちょっとずれちゃいましたね。

これらのことが違いかなぁって思う。

違うって感じられたのも良い事だと思うしね。これからは、じゃあどうするの?

ってフェーズに入っていくと思うけどね。

(偉そうなことは言えど、まだ私はなにもできていないからね・・・!!)

自分のサイズを踏まえて、またふんばっていきたいと思います。

(考えが尽きると頭真っ白になることもしばしばですが・・・(笑))

それじゃあまた。何かの参考になれば幸いでする。

どうでも一言:今、フライングゲット(なぜか只今ハマり中(笑))をオープニング曲にして踊り終えたら次の曲の構えでHifana(WAMONO)(和的な現代的な曲)で踊るという構成がしっくりきてます(笑)。何がやりたいか謎です・・・。とか、変なの踊ってくれる方大募集します、来春あたりに。舞台は来年の9月。にょほ。