handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

遠くのもの大きいものを見る

いろいろもやもやしたので遠くのものを見たいと思った。

ので都庁まで。

 

これ表示されているのかな。インスタ。

今まで何がインスタ映えだ~とか言って思ってたのですが

それはそれでこれはこれで、インスタ映えならそれを追求する姿が逆に純粋だなと思い直して、普通に良い写真撮りたいなぁと思って改めてはじめました。

普通にいいねもらえると普通に嬉しい。今更笑。

Twitterは今では、なんかこういうふうに見られたいという願望や思惑や見栄や思想が溢れていて時々疲れてしまうのですが、インスタはもうなんかもうとにかくよく見られたいという思いで一致してるので、汚れ方がもはや純粋なので逆にそれでOKな気がしてきました。笑。よかったらフォローしてくだせい。

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都庁から見た景色は載っていませんが、都庁から見た景色も良かったなぁ。

遠くを見渡せるってなんか良いですよね。

自分の悩みなんかちっぽけだ、とは思わないけれど、逆にこういう悩みを抱えた人たちがこの見渡す限りの世界で何万人もいて日々過ごしているんだと思うと、自分もその単純に一員でしかないんだよなぁと思わされます。

単純に遠くのものや大きいものってぼぉ~と見てるだけで癒やされませんか。

わたしだけですか。

 

帰りには本屋によりました。

図書館はよく行きますが、本屋はまた違うということを認識しました。

本屋は買われるために本が並んでる感じがひしひしと伝わってきました。

図書館はそこにあるだけなんですけど、本屋は買わせようといろんなメッセージを発している感じ。

それだけに、単純に本一冊手にとって見ても書き手はもちろん、編集者、出版社、売り手いろいろな思いがその一冊に詰まっていて、しかもそれが何万冊とある。

そう思うとそこでもまた人の生活があるんだなぁと思います。

し、単純になにか壁にぶつかっているときって、自分のデータが足りないからだと思うのです。問題となっているものに対して良い出力をできるほどの入力が自分に足りていないのです。これだけの触ったこともない本がたくさんあると、単純に知らないことが多い、という現実を突きつけられます。

単純にいろんなモノを読みたい、小説の心の動きに触れたい、エッセイの考えに触れたい、流行りのものがなぜ流行るのか読んでみたい、そういう思いがいっぱいになります。

 

この12月は、いや来週からは今までやってきたことを全力で検証したいと思っています。いろんな意味で分岐点が訪れそうです。

 

好きな人を人として嫌いになりたくないなぁ。

好きな人って好きな人になっちゃったんだからもはや何がどうとかあんまり関係ないんだよね。