handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

positive

内田樹って方知ってますか?僕はあんまり知りません(笑)

でも良い事書いてあったので、載せます。ポジティブ!

大学教授らしいですね。

残留率と楽観主義

以下、好きなところの抜粋(そのままコピペなので読みにくかったらごめんね)

私が好んでものごとを楽観的に見るのは、悲観的予測をするとしばしば悲観的未来を進んで呼び寄せてしまうことを経験的に学んだからである。

というのは、悲観的予測をしたあとに、そのような事態が到来しなかった場合、それは予測者の知性がかなり不調であったことを証明してしまうからである。

それゆえ、大学教員のように自分の知性が好調であることを証明することが死活的に重要である職業においては、悲観論者は(無意識的に)、悲観的事態の出来を願望するようになる。

予想とおりの危機的事態が起こり、楽観論者が備えをしていなかったせいで、右往左往している様を見て「だから、言ったじゃないか」と冷笑を浴びせる日の来ることをいつのまにか待望するようになるのである。

そして、その日の到来を前倒しにするために、わずかずつではあるが、悲観的事態そのものを自分の手で作り出すようになる。

日常的には「だから、この学校はダメなんだ」という捨て台詞を会議や打ち合わせの席で頻繁に口にするというあたりから始まり、教場で学校のシステムや同僚の無能をあげつらう、やがては近所の高校生に「女学院大学に行きたいんですけど」と訊かれたときに、反射的に「止めたほうがいいよ」と忠告するようになる。

このような人々の日常的努力のおかげで、問題の多いシステムが円滑な機能を回復するということは起こらない。働きの悪い同僚たちの士気が高まるということも起こらない。学生たちが上機嫌で勉強するようになるということも起こらない。

もちろん彼らのおかげで志願者数が増加するということも起こらない(絶対)。

だから、私は同僚たちには(多少の無理を承知で)、「楽観的に行きましょうよ」とつねづねご提案しているのである。

「まあ、なんとかなるよ」と言った手前、その未来予測の正しさを実際に「なんとかなった」ことによって証明せねばならないからである。

そのための努力を惜しむと、事後的に自分が「バカだった」ことになってしまう。

これはたいへんと、こまめに出来の悪いシステムを補正し、同僚たちを励まし、学生たちに微笑みかける。

個々の効果は微々たるものであるが、塵も積もれば山となると俚諺に言うように、楽観的な人間が多数派を占める集団は悲観的な人間ばかりで構成されている集団よりも危機を生き延びる確率が高いのである。

でも、そのことを気づいている人は決して多くはないのである。

困ったね。

以上 (何か問題があればご連絡ください)

傷つかない予防線なんていらないんじゃー!!!(笑)だって傷つかないもん!!

「なんとかなる」って言ったやつはそう言った手前、自分が惨めにならないために人一倍がんばってるやつなのかもね。

ポジティブー尊敬!!(笑

ポジティブに生きていきましょうー!