なにかを決断する時には、理想の人を思い浮かべてみる。
最近、あぁそうかも、と思うようになったことなのですが
例えば何かに迷っているとき、AとかBとか何かを決断するとき、
ややこしいけど、
Aの決断をする自分と、Bの決断をする自分と、
私の好きな(理想)の人は、どちらを好きだろうと考えてみる。
別に具体的な誰かの趣向に合わせるのではなくて、自分の理想の人をイメージしてみて(こんな人と付き合いたい、こんな人と結婚したい)、その人が好きになってくれる選択。
わかりやすいので、極端な例を出すけれど、大手一流企業に勤めていて、「でもやりたいことがある・・・!!、会社辞めようかな、どうしようかな、会社を辞めれば安定を失う、でも人生に挑戦したい」とかなんとか迷うとするじゃないすか。
そのとき、"一般的に考えると"、そんな収入も安定しない人、誰が好きになってくれるのだろう?とか
あー結婚は諦めるしか無いな、とか、”一般論”の中で、悲観し、なかなか決断がつかないこととかあると思うのですけど。
でも、その安定を求めた結果、「やりたいことを諦めて、安定したアナタ」って、果たして好きになってもらいたいアナタなの?、ってこと。
確かに市場で言えば価値は下がるかもしれませんよ。誰もが欲しがるスーパー物件ではなくなるかもしれない。(もとがどうだとかはとりあえず置いておいて)
でも、それを欲しがる人をあなたは果たして欲しがっているのかしら?大手企業を辞めずに働いているアナタを好きな人をあなたは果たして好きなのでしょうか。
禅問答みたいだけど笑。
よくよく考えると、そんな人に好かれたとして最終的に困るのは自分です。(いや別にそこの価値観重視してないよ、という方であれば別に深く考えずにOKです。)
世間の感覚やら、一般の感覚とか、実態はないけどなんとなくみんながそう思っているんじゃないか、ってものに勝手に自ら縛られにいっている。
そんな、理想論言いやがって、それで結婚できなかったらどうしてくれるんだ!
別にもちろん責任はとりませんけど・・・笑。とりあえず「結婚」至上主義の方にはおすすめできないかもしれません。。。
でも、そういう選択の積み重ねをしていったからこそ、好きになってもらいたい人に出会えるんじゃないでしょうかね。環境も変わるじゃない。
よく恋人とかサークルとかで出会うじゃない。あれは、たまたま出会ってるんじゃなくて、お互いに好きなことやってるし、居たい自分でいられるからそれを好きになってくれる人にも出会えているのではないかしら?
やりたいことを諦めて、世間一般の幻想を胸に、好きでもない人と結婚か。
やりたいことを貫いて、自分を好きになってくれたら嬉しい人と結婚か。
なんつて。
まぁともかく、何かで迷った時、私はどっちを選んだ人を好きになるような人が好きだろうか?と考えてみると、意外と自信を持ってさっさと答えがでたりする。
と最近思う。
まぁどっちでもいい、ことももちろん世の中にたくさんあるけれど。笑