handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

ひとりの時間

とかこういう粋がったことを書くと、だいたいそれは実行されないことも多いのですがまぁいいですか。戯言だと思って書きますね。

 

最近ひとりの時間の捉え方が微妙に変化してきました。

人生は短い・・・って意識するのもそうなのだけど

 

たとえば人と過ごしてたり、気の置けない友人と過ごすことって結構楽しいことだと思うのです。

でもそういうのに慣れているとひとりの過ごし方がわからなくなっちゃったりする。

 

ましてや私も周りが結婚し、ここから人に出会って結婚するとかそんな未来はあるんだろうか・・・いや想像できない・・・とか思うほど一緒に過ごす人も少なくなって来ておるのですが・・・(笑)

 

なんていうか、逆に、物理的にひとりで(子供とか彼女とかがいずに)いられるのは(ひとまず、少なくとも今現時点において)大事なことだと思うようになりまして、

じゃあ今何ができるんだ・・・と考えるようになりました。

 

だって人がいたら、本も読めないし、ギターも練習しづらくなるし、こうやってPCカタカタもやらなくなってしまうかもしれない。ましてや勉強なんかもしなくなるかもしれないし。

 

と、思うと、「大事だとは思っていたけどやらなかったこと」にもっと時間を注いであげようという気になる。というかひとりの時にしっかりひとりの時間を過ごして自分と向き合ったり、悩んだり考えたり勉強、体験するから次のステップに進めるわけで、そういう時間は次の新しい(楽しい)世界を見るために使うべきなのよね。

 

なんていうか、そういうのが腹に落ちたのは最近なのです。(残念ながら)2ヶ月前くらいかな。人生はあまりにも短い!と思って、とか言って何かが「できる」っていう人は少なからず「そのために時間を割いてきた人である」ことを認識させられ、それだったら、毎日なんにもしなかったら本当に何も生まないな・・・と思って、でもつまりそれは逆に何かちょっとずつでも続けてたら(そういうことやってる人はあんまりいないから)結構遠くまでいけるんじゃね?みたいな期待もありつつ(笑)

 

ひとりのときとかに、サクッと本を出して読んだり、図書室にいって本をわっさー読んでる時とか(もちろん実体験でもいいんだけど)、経験値積んでる感じがする。それがすぐ何かにはならないかもしれないけど、こういう経験が後で生きてくるんだよねーってことを確信しながらその行動をとっている。

 

1日も短い(し、私の集中力も長くはもたないので)から数えられるだけのことしかできないのだけどそれでも、ちょっとずつでも、何かに取り組むっていうのはきっと長期的にみて何かを変えられるキーになる。原動力ではなくキーだ。原動力はあってもそれを動かす技術と知識と方法を知っていなきゃならない。そういうのの蓄積。

 

こういうことをやらなかったらきっと30歳くらいになっていつまでも「なにかないかなー!」って探す感じになる気がする。それが悪いわけじゃないけど、だったら今から何かしら取り組み、その先で「あ、こういうのもあったか!」って進んだほうがきっと楽しい・満たされる気がする。

 

無理矢理でも何かを決めてそれをやってみる。仕事以外にも(もし時間がちょっとでもあるなら)そういう活動をしておくことがきっと何かを変えると思う。武器にもなると思う。

 

準備ができていることが大事。

 

私はきっと将来やりたいことなんかはあんまりないんだけど、

将来ありたいあり方はある。新婚旅行を十分にしたり、子供が生まれる瞬間に立ち会ったり。天気が良かったらふらっと散歩したり。そういうあり方の話。

好きな人と好きなところで好きに過ごす、そういうのが「夢」でもいいんだよねー。どう実現するかは手段の話であって。できるだけ楽しく。

 

(小学校のときはこういうことを「夢」として発表できない。それが問題だ。夢というものを具体的な職業に置き換え過ぎてるしそうしなきゃいけないと思ってた私は。

 

でも考えたら、キング牧師も牧師になりたかったわけじゃないし、理想のあるべきものにありたいと願っただけだし、チェ・ゲバラだって革命したいわけじゃなくあるべき姿を目指したわけでしょう。)

 

 

いずれにせよ、それが「何かをやりたい」であっても「何かでありたい」であっても

お金と生きていく術は必要だ。そのために虎視眈々と準備をし、

目の前が開けたら一目散に走って飛び立とう、ということ。