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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

あるいは結婚というものに対する考察

ベトナムで考え事した時に思ったことなのですが。

あんなふうに、プールにひとりでぷかぷか浮かびながらもしくは休みながら、本を読んだり、じっと考え事をしたり、という時間をとても尊いように思えたんですね。


あ、これはもしかすると、誰と結婚したりしても、必要な時間として確保すべき時間なのかもしれないとも思ったのです。
知ってる人がいない空間で、今後どう生きていくかとか、どう生きてきただろう?なんて考えることが。

それまで、私は、誰かと結婚するとしたら、そういう自分勝手な時間はなるべく取りたくないし、取りたくなるようでは、愛だとか結婚だとか家族だとか言っちゃいけないものだと思ってました。


ただ、ベトナムのそういう体験で、これはもしかすると自分の人生において結構大事なイベント?習慣?決まりごと?なのではないかと思うようになりました。

それを考えると、じゃあそもそも、好きな人家族と四六時中24時間365日、一緒にいなきゃいけないということが自分の中で、崩れかけています。

好きな人と一緒にいても、その孤立した時間とはきっと切っても切れないものなのかもしれない。(いやもしかしたら、自分にとって、そんなもの必要もなと思えるくらいの人が世の中には2、3人くらいいるかもしれないけれど)

自立であり孤立。


ということは、この人といたら、私はひとりの時間を欲する時が来るだろう、と感じることはそんなに悪いことでもないような気がするのです。
つまり、極端に言うとひとりの時間がある程度、約束されるなら、ある程度の人たちとは共同生活でもなんでもしていけるのではないかということです。

ということが考察。

しかしながら、頭で考えることじゃあ多分いけない気がします笑。
直感の方が正しいことはいくらでもありますし(という1分前の話をちゃぶ台返し)

直感というのは、言葉で整理される前に答えが出ちゃってることを言うんだと思う。
アインシュタインは、頭の回転が早すぎて答えはわかるけど、どうやってその答えを出したかは説明ができなかったとか。
そゆのが直感じゃないかね。

でも色んな経験しないと直感も直感と働かない気もする。もしくは直感を否定する。


いろんなこと考えてドツボにはまりそう笑。
とりあえず総合的に必死に生きるしかない。

ノリで動いてあとは微調整!で。