Signを聴きながら書いてみる。
最近、「面倒くさいと思うことはやらない」ということはなかなか大した才能なのではないかと思うことがある。
面倒くさいことは大体いろんなリスクを勝手に頭が考えて、その結果、それは面倒くさいぞ・・・って
判断を下すから。
まぁ面倒くさいって思いながらやることに、良いクオリティはでない。
だから、面倒くさいことはやらないか。
面倒くさくなくなるまでリスクを下げてやる。
どうすれば面倒くさくないかな・・・と考える。
動く前に、頭を動かすってやつだ。
頭を動かすよりも、身体を動かしたほうが仕事をする気になるのはよくわかる。
いやいや。面倒くさいと思うこと、みんなやってきてるんだよ、とか考えだすと
「面倒くさい」と思うことがどこかいけないことなんじゃないかって思えてくる。
まぁ、そんなことはない。
面倒くさいことは面倒くさいし、そもそも面倒くさいと思っている時点で自分のやりたいことではない。
例えば、
曲の編集はみんな面倒くさいって思うかもしれないけど、それを好きな人もいる。
教科書読むのは面倒くさいけど、それを好きな人もいる。
あるいは、こういう状況じゃ面倒くさいけど、また違う状況じゃ面倒くさくなく感じる人もいる。
そういう面倒くさいと感じることと面倒くさく感じないことの差
の中に才能というものが隠れている。
そんな気がする。
だから、「面倒くさい」と思うことも立派に才能だと思う。
どうして面倒くさく感じるのか、どうしたら面倒くさくなく感じるのか。
面倒くさい・・・いや、我慢・・・。で終わらずに、あれーこれは面倒くさくないぞって思えたり、
面倒くさいから面倒くさくないへの架け橋を作れたら
それも才能だと思う。
例えば、
この解説書読むの面倒くさすぎる
→なんでこう書かないの?
→こう書いたほうがわかりやすい
って道筋まで立てられたら立派だし
そうやって世界をある意味疑ってかかるとより世界は広がる。
与えられた世界(というと大きくなっちゃうが)は作られてる世界だし、
それを理解するのを面倒くさいと思えるのは
→自分にとって(またそれは多くの場合人にとって)もっとわかりやすい、面倒くさくない世界に
変えることができる、っていう第一歩。
世界は自分にとってもっと理解しやすいものであっていいと思う。
っていうある程度のわがままも大切だなぁ。と。
さて、ここまで言っておきながら
さして、世の中の人は、こういうことには興味がないんじゃないだろうか
とも思えてきた最近。
だって
世の中、自分の生きたいように生きよう!とか
周りの目を気にせずに!とか
有給休暇もばっちりとるよーん!とか
人生なんて意味が無いし、生きてればいいじゃない!とか
今言った、世界が自分にとって生きやすいものであっていいんだ!とか
だって私達幸せになるために生きてるんだから!とか
そういうこと別に考えてないんじゃないか・・・と思い始めたのです。
確かにさ、僕も自分の生きたいように生きたいし(それは傍若無人を意味しないけれども)
自分の人生なんだから、楽しく生きたいと思っている、
(働くのが本当に嫌で嫌で、ぎりぎりの生活(でも楽しい)を送っているphaさんという人がいるけれど)
別に、なんなら、
自分の好きなように生きる!!とか
これ働くのマジ勘弁だわ!!
という自分の、生きる、というところにもしや大多数はあまりこだわってないんじゃないかな・・・と。
それなりに学校行くし、それなりに友達と遊ぶし、それなりに就職するし、それなりにサラリーマンになるし、(いや全ての人に人生はあって「それなり」というのは失礼だとは思うけど)
いや、別に目くじら立てて、いやー!とか俺はこう生きるぜ!!とか、必要ないんじゃないのって。
大多数は思ってんじゃないのって。
第一、ほとんど全てのことは自分で選んで今があるんだから。
それでも
あー、有給休暇とれて羨ましいなーとか
あー、海外旅行行きたいなーとか
あー、私社畜なのよwwとか
ってなるのは、そう言ってるのが好きなんだと思う。
そんなことをずっと言いながら過ごす人生が楽しいのだろうと。
あるいは、そう言えなくなった時がその人達にとって一番怖い状況なのかもしれない。
(そう思うと何か言い訳があるというのはなかなか素敵な状況なのかもしれない)
ただ、本当に心の底から思っていて
それでも今の状況を打破できずに、
心の底から「海外に行きたいのに!!」と想っている人が
行けない(行動できない)というのは、どうにかしなきゃいけない状況だと思う。
そういうことだけはするべきじゃないよなって思う。
何かを変えるべきだと思う。
極端に言えばそれ以外は、戯れ言。
んまー、
人の人生をとやかく言っている暇も資格も免許もないのだけど
とりあえず、私のことと言ったら
社畜wwとかは考えてない、だっていつでも「辞めます」の一言で辞められるし
そうしたらこれでもかってくらい暇な時間をもらえるもの。
んー、何が言いたかったんでしょうね(笑)。
ともかく
働きたくない!とか
自分の人生楽しくしたい!とか
幸せに生きるために生きる!とか
考える人は、
(今まで私も、そうやって考えて生きてきたのだし、それが普通、あるいは美しい輝かしいものだと思っていたのだけど、もしかしたら、そういうことではなくて)
自分の人生へのこだわりがわりかし強い方ということなんだろうなと思ったのです。
だって
普通に考えたら、働きたくないからってニートは選びにくいし、
周りの目があるからって有給休暇は取りにくいし、
そういう普通も、まぁ世の中に普通としてあるよねって。
それで大多数はまぁうだうだ言いながら(うだうだ言うことで満足しながら)生きてますって。
そう、別に鬼の首とったように、好きなように生きることが人生だ。じゃなく
そういう人は自分の人生へのこだわりがわりかし強い方ってだけ。
そしてその人にとってはその方が恐らくラクなのである。
どちらがラクかということだね。
あ、最初の面倒くさいの話とつながった(笑)。
ということは
どちらも面倒くさくない人生の生き方をしているだけなんだろうなぁ。
(私にとって見たり聞いたりして気持ちがいいのは、うだうだ言っているよりも、好きなように生きてなんぼのもんじゃい!って方だけどね。)
面倒くさいって基準は結構大事。
面倒くさいことはやりたくないなー。
っていうお話。(笑)
ちょっと文章上手くなくてごめんなちゃい。