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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

世の中思った以上にタイミングだ。

20代も半ばを過ぎて思うのは、人生は思った以上に、想像以上に、タイミングによって成り立っている、ということである。

 

若いころは(まだ若いけど)、タイミングとか関係なしに、実力なりがあればその物事はあるべきところに収まるのだろうと、そう考えてた。

 

でも、人生は結構違った。タイミングの方が重要に作用するといって過言ではないだろう。言い換えれば、人は思ったより惰性で生きている生き物、そうとも言えるかもしれない。

惰性で生きたりなんかしませんよ!!そう若いころの僕なら言う、君がどう生きてようが世間には関係ない。世間はごく控えめに言ってとても惰性で流れている。

 

惰性で流れる世界に、タイミングの要所を見極めずに入っていけるだろうか、無理だ。

思った以上に、「たまたまそこにいた」とか「たまたまこんな経験があった」「たまたま彼氏がいなかった」「たまたま恋人と別れた直後だった」「たまたま恋人がいた」「たまたまそこに生まれ住んだ」そんなものが人生の大半を占めているんじゃないだろうか。

 

 

となんか、わかったふうなことを言いながら、こういうことを一番感じるのは恋愛関係においてだと思う。

恋人がいなかったら付き合ってた、とか、そのときそんな感情にならなかったけど(今思えば・・・)とか、その時の環境、関係が左右する。

かくいう私は、ぴったりないい人がいれば誰と付き合っていようが、すべての人は別れてその人と一緒になるべきだと(今でも)思うし、別れられた人もぴったりな人がどこかに存在するのだろうと思っている(だからいずれみんな幸せになるじゃん?)、けども、現実はそうじゃない。

 

付き合ってたら別れられないな~という人もいるし、第一そこまで恋人に関して100点求めないから現状で満足みたいな人もいるだろう。そんな風に世の中回っている。回ってしまっている。(点数つけるのはおこがましいですがまぁ便宜上許してくだされ。)60~80点以上かつ許せないところをクリアしていればほとんどの人は結婚するのではないだろうか。若いころ僕はそんな想像できなかった。

 

今思えば、自分から告白した人はほぼ9割方振られているような・・・。タイミングを考えない良い例である笑。

(タイミングが全てだったのかどうかはさておき)

 

何を言いたいかというと、自分が思っているほど、世界はそのように動いていないということ。

些細な事で、半径5メートルで物事は済んでいるということ。

愛は国境をいきなり超えたりしない。

国境を超えたからこそ愛があるのだ。

 

 

 

あの日、あの時、あの場所で、君に出会えなかったら僕らはいつまでも見知らぬ二人のままである。

つまり、現実的に言えば

あの日、あの時、あの場所で、(彼氏のいない)君に(素敵な感じで)出会えなかったら僕らはいつまでも見知らぬ二人のままである。

 

世の中、タイミングである。

だから絶望や失望をするわけではなく、自分の想像していた世界との違和感にちょっとだけ戸惑いながら、人生観を修正していく。

 

こんなこと以上に理不尽なことはいっぱいあって、いきなり奪われる命や、病気と闘う方もいて、こんな人生なんかじゃないと思うこと多々あると思うんです。そういうのがすべてタイミングやとは言いませんしそこまで重いものを想定してないのでこの本旨とはずれるのですが、生きていくのが長くなればなるほどそういうことに体験する確率は高くなって、でもそれでもその「ちょっとしっくりこない、想像とは違った人生」をどう生きるかということに収斂されていくのだと思います。やだやだ言うたって時間は流れるわけですから。

 

だから、想像以上にタイミングとかって大事で、いつでもそんなんできるわ~とか

いずれこうなる運命だろう~とか、2回同じ場所で会ったら運命ね、とかそういうことじゃなしに、その時その時にちゃんと掴んでないといろいろなことを後悔することにもつながってしまうかもしれない、タイミングに感謝して、全力でベルト奪いにいかないといけないね、と思うわけです。

 

 

なんかごちゃごちゃしちゃいましたね、感情がでちゃいました。

それではまた。