handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

1日弾かないとFが弾けなくなる。

サッカーがあるから言うわけじゃないが、

サッカー試合を見ててもシュート打つ人だけが素晴らしい、

じゃなく

パスを出した人、

ボール持ってない人の動き(スペース消しましたね!)

相手をひきつけた人

とか、解説で言われるようになってきたのって昨今だと思う。

それってつまり日本のサッカーのレベルがあがったってことだと思うんです。

というのはサッカー以外でも(仕事、サークルとか)同じくで。

何かをズバッとやった人!だけが良いのじゃなくて、

パスを出した人、

環境を整えた人、

走って敵を欺いた人、

目立たないもの含めすべての動きが連動してるってわかったら(気づいたら)

レベル上がってきたってことだと思う。

(なんの?って聞かれたら困るんだが・・・。)

みんなが気づかない、でもそれがなかったら場面が動いてなかった決定的な一言って、ごろごろたくさんあるんだよなぁ。

逆にそう思うと、あ、これここで言わなきゃ伝わらない!…ってものも見えてくる。

最近のイマココ。

そこの入口に足を踏み入れようとする辺り。

次は何がでてくるじゃろ。

最近ようやく、「仕事に慣れてきた」と言ってもいいんじゃないのかなぁと思えてきました。

先輩に対しても、「何言ってんだろうこの人は・・・」っていう目線が出てきたし(いいのか、悪いのか)

全くわけわからない言葉が飛び交うことっていうのが少なくなってきた

というか、自分のフィールドに落としこんで物事を咀嚼できるようになってきた。

後は、それが本物かどうかを確かめること。

本物ならば結果がついてくる。

本物じゃなければ、やり直し。

そう、ブログ(を書き続けてかれこれ4年とかその辺なんですが)

っていうのは、一方的に物事の主張ができるところが良いのよね。

文字でいろいろな話をしようとするのってすごく限界がある。

そういうのに最近やっと気づいたのです。

よくおじさんとかが言うやないの、

いや、人っていうのはメールやなんかで意思疎通ができないじゃないか

デジタル世代はなんなんだ、とかよく言うあれ。

あれが理解できちゃったんです(あれ、おやじの仲間入り?(笑))。

本当に大事なことは多分、文章にならないような気がする。

(いや、それをうまく表現する人も確かにいる。)

正確に言えば、この画面では伝わらないことがたくさんある。

ツイッターに書きながら思ったのだけど

本当に大事なことは誰も話さないし、書き込まない。

本当に大事なことはここになんかない。

顔を見て表情を見て眉が上がるのを見て口が開くのを見て、声を聴いて声の高さを感じて

言いにくいのかなって間を感じて行間を読んで目が動くの感じて手が動くのを感じる

そういうことができる

そういうものを全身で感じる

それが私たち、人間なのだと思うのよね。

だから、もっともっと人に会いたくなってしまったよ。

会って話したいし、会って笑いたいし、会って泣きたい。

会うことって大事なんだなぁ。

なかでも日本人はその感覚とかに対する感性の深さ、豊かさは世界一だと思う。

私、自分のことを合理的にもの考えるタイプだと思ってたのだけど、

考え方は欧米的だけど感覚はすごく日本的だと感じました。

文化における日本大好き。

観光とかホント絶大な力を持ってくるんじゃないか・・・と思ってる。

それが日本人的かどうか合ってるかわからないけど

いまだにわからない(でも言葉にしたい)ことは、

震災直後のことを考えると涙が出てくるということ。

怖いとか悲しいとかそういう感情じゃなく、

日本人は復興しようとすぐ動き出したこと、

犯罪がほとんど起こらなかったこと、

世界から賞賛を浴びたこと、

世界が日本を応援したこと、

を思い返すと涙が出てくる。どちらかと言うと、誇りを胸に心奮えるって感じ。

日本の言語の豊富さ(それゆえ曖昧だし)

オノマトペイア、トトロ、空想する力、想像する力、数字にならない価値、

それをどうのこうの一番上手いのはおそらく日本。

っていうかその価値で世界を食ってく(ルールを変えていく)わ。

無目的、道草をしたくなる心。

あることよりも「なる」こと。

矛盾を含んだ文化。

そういうのが全て愛おしい。く思える私もまた日本人だなぁって思う。

そういう、五感の働きというか、感性というか、最近わかるようになってきて

(それがわかるようになってきたから、仕事もわかるようになってきたとか言ってるのだろうけど)

ちょっとはレベルアップしたかなぁ、と思うのです。

社会人になってから、悪くはないよ。

これからあともうひとふんばり。