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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

kizuku

先日とても心が動いたというか、すごく気づかされる場面があった。

昔ここに書いたかもしれないけど、僕は夏に一回よさこい(といっても南中ソーラン)を社会人のとある人に教えていた。

その人は、つながりつながり(WIFとか運スタとか)で僕のところに教えてほしいとお願いに来た人であった。(「ソーラン節」で僕のところに辿り着くのは嬉しいことだとは思う。(笑))もちろんその時が初対面。話を聞くと、

とある外国でソーラン節を踊ってみたいのだそうだ。

(ソースは忘れたが・・・)現地の国の子供たちと一緒に踊るというところに感動をしたみたいだそうで。

社会人でもあるその人は自分の周りの人を集めて、チームを作って外国に行って踊りたいんだと話していた。そのため、ソーラン節を教えて欲しいという内容だった。

話を聞いた当初

僕自身、ほぼソーラン節は引退した身ではあるけども、なんか面白そうな感じだし、なによりこのきっかけでつながりが生まれるのも良いことだなぁと思えたし(知ってる人からのつながりだし)、振りを教えるぐらいであればできるかな、となんか役に立てればいいなーとの思いで了承することにした。

そして、夏に1回・・・2回?(忘れてすみません)ほど練習をした。

振りを教えるので精一杯だったけど、一応全部教えたし、その後もそのチームは練習しているみたいだった。そして、都内の祭イベントにゲリラで踊ったりもしたそうだ。

それでも、そのあとの連絡はなくなった。

別に自分自身怒っているわけでも、何を考えているわけでも、感じでいるわけでもなかった。

そう自分自身あまり気にも留めていなかったのだけど

(第一、(社会人でもある方々が)外国に踊りに行くという行為は難しそうだなとは感じていたから実行するのは難しいのかなーって思っていた。)

最近、その人からメールが来た。

どんなメールだったかというと

よさこいを教えてくれて感謝しているということと、

まだ最初に言ったことが実現できていない(イベントにゲリラで踊ったことで満足した自分もいる)ということでした。そして、それは、よさこいを教えてくれた僕に対して、僕を紹介してくれた人に対して失礼なことだったという謝罪のメールだった。

そしてその人も僕を紹介してくれた人に言われるまでそういったことに向き合ってこなかったということだった。

僕を紹介してくれたその人は、その人に対して

「人を巻き込むといことは本当に大変こと。そして一度人を巻き込んだ以上最後まで責任をもて」とおっしゃったそうだ。

それがきっかけで、逃げていた自分と向き合うようになったという話だった。

さっき言った通り、僕自身、怒ってもいなかったし、気にも留めていないようなことだったのだけど、こういうメールをいただいて、なんか納得というか気付かされた。

そして、こう報告してもらえるということでこちらも気持がいいし、嬉しくもあった。

この「報告」という形がとりあえず今の「責任」なのだろうと思う。

自分自身気付かされた部分もあったし、久しぶりに「おおぉ」と思えることだったし、教わるべきことだった。

僕自身、イベントやったりだとかサークルやったりだとかで、何かで人を巻き込もうとすることが多々あったと思う。僕の場合元々、自分から言ったことは(自分に多少の犠牲があろうが)やりきるというところを大切にはしている。でも、それはこんなことを思ってるからじゃなく、それが結構当り前であり、それがなんとなくかっこいいと思っているから。

でも

今回のことがきっかけで、「何かを始めて(人を巻き込み)、それをやりきる」ということはすごく大事なことなんだなぁと改めて思えた。

人を巻き込んだ以上は責任があるわけで、それを最後まで全うすることが責任をとるということなんだろうと改めて思えた。

そして、こんな風にこんなことを気付かせてくれた第3者の先輩がとてもありがたいなぁと思う。

この世の中、誰かが何かを(ちゃんと)指摘してくれることなんて少なくて、特に年齢が高くなっていくと、そういうこと教えてくれる人は少なくなっていって、気付かなきゃいけないことに気付かずに終っていくことも多々あるんだろうと思う。

ましてや、当人が言うわけない。

例えば今回で言えば、俺が社会人の人に、「せっかく教えたのにどうなったんですかー?」とは絶対に聞かないだろう。したら、こういうこと(人を巻き込む責任だとか)に気付く場面なんてなくなる。

今回じゃなくても、何かをしてくれた人が「○○やりましたけど、どうですか?」とか聞かないだろう。(だって本人が言ったらかっこ悪いじゃん!(笑))

その意味でも第3者が今回みたいに教えてくれるってすごくすごく奇跡的なことなんだろう。

だから

今まで(第3者がいなかった場面でも)

きっとものすっごいほどの気付かなきゃいけない場面を俺は見逃してる。

あーこいつ、気付いてないんだー、ってきっと神様が言ってる。

だから、感謝感謝なんだろう。

いくら言っても言い足りない。

いつでも気付こうとしなきゃ

もらってるものをちゃんと見なきゃ

気付かなきゃ。

本当に気付け、感謝できるような、そして責任取れるような大人になりたい。

と思った。

結構ハっとした、出来事。