handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

beyond myself

あ、そもそもこのblogで伝えたいことなんかはなくて、強いて言うなら未来の自分になにかを残したいだけで。

このblog自体を何か伝える手段にしようとか思ったことはないわけで。

はい。

いろいろ書きたいこと(広島・長崎・九州の話)はあるのだけど

近々で、下駄っぱーずでのイベントに参加させてもらって踊ったのでそこについてまず書いてしまいたい。

いやはや、このイベントに参加する前から自分は自分の期待値を越えられるのかなぁと思ってましたが。

(最近08年の早稲田祭の自分の映像を見てこれが一番よく動けてたんじゃないかなーと思ってた)

結論から言うと、こらまた「いまいちよくわからん」。

周り(1年生~3年生いや4年生、全員)が「楽しい」ということを連発するので、あぁ単純に「楽しい」と言える彼ら、彼女らがなにかうらやましいというか、そうなのかーって感じだった。

楽しいの一言に尽きますとか、幸せーとか、好きだーとか。いや、それはもう素晴らしいことなのだけど。

実はそんなシンプルにそういう感情を持ててたのは2年生までだったんじゃないかなーと思う。

そりゃそりゃ侍のときとかね。レベル的にいってもそういうところで満足できてた。

最近はそれがなくなっている感じ。

んー、舞台に出るときって大体自分の中で、かちっとハマッて満足感を得られていたのだけど、最近はそーいうのがなくなっている気がする。

伝えられるものがまだあるはず、と思って踊ろうと思っていたけど、実際そんなものはないんじゃないのかなーなんて思ってしまう。

実際、早稲田祭もちょっと躊躇している。

あれ(08)ほど、一心な姿を見せられるだろうかとか。

ただ単に舞台の大きさとか照明とかでテンションがあがるという感じではきっとないんだよなぁ。

渋谷は舞台も大きくてお客さんも多くて盛り上がっていたけど、やっぱり1年前くらいのギラギラ感はなくなってしまっている気がする。気がする。

単純に楽しめないとはなんかめんどくさい奴だなー(笑)

みんなが楽しい楽しい言ってるから天邪鬼的に楽しめないのかなぁ。

目指しているものの違いなのかなぁ。

楽しいことは目的じゃなく、結果的に楽しめる、いや何かに本気で打ち込む、何かに向かっていくことに必死になることが楽しいんだと。

「楽しませよう」「お客さんにどうにか何か残してやろう」「良いもの見せよう」と(外向きなことを)本気で思っている人らとの団結の方がテンションがあがるんじゃなだろか。

【何か得体の知れないものにみんなで向かっていく】、多分コレが一番たぎる。

やったります!って思える、一番のシチュエーションだと思う。

楽しいことに向かうんじゃなく、楽しさはボーナスいや、セットみたいなものだ。

楽しめとはよく言うけど、それが良い結果を生むのを知っているから。

つまりはハイパフォーマンスができるからなんだよなあ。

人のために、より良いもの見せるために楽しんでいるんだよ。

楽しんでいるから良いものが見せられるんだよ。

だから楽しめなくなったらある意味おわりだし

良いもの(クオリティ、レベル的に)が見せられなかったら(それでやっぱり楽しめないから)おわりなんだよなぁ。

と、思うこの頃。ま、すとんぷ、いや全てのこと(パフォーマンスもお仕事も)も同じくだがね。

得体の知れないものを創ればいいのかー。にゃふ。