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handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第2幕。

分岐点

だんだん中身も伴わず、外見だけ立派になって、満足して。

これまでで何ができるようになったの。誰を助けられるの。誰の力になれるの。

なんで大学でたの。

自分の外見を立派にするためか。

自分の満足高める休日を過ごすためか。

なんのために必死に勉強したの。

自分が見下す人に講釈を垂れるためか。

SNSで自慢するためか。

一歩

倒れこみそうな時、倒れまいと踏ん張ったその足が一歩。その連続。

 

優しいということ

‪人に優しくできたとき、感謝されたときこんなことがあったとそれを人に話すのをやめよう。それを当たり前に自分の中で消化できるようになったとききっと本当に優しくなれる(ような気がする)。

ぐっとこらえた先には違う景色があるはず。‬

 

褒めてもらおうなんて思うんじゃねーぞ。

加速するために前を向いて


ケツメイシ トレイン

 

高校生の時聴いた曲。

その時もいい曲だなぁと思ったけど、今聴くと感じ方が全く違う。

もっと深いところでこの曲に会っている感じ。潤む。

突き抜ける感覚・意志

ずっと土曜日 朝9:55~10:25 フジテレビで放送されているグータッチが好きだ。

 

ライオンのグータッチ - フジテレビ

ライオンのグータッチ 夢を追いかける全ての子供たちの成長を見守る応援ドキュメントバラエティ。

 

概要としては、公式戦で一度も勝ててないチームだったり、ずっと負けっぱなしで競技を続ける子供を対象に、その道のプロの方が指導をしてまず1勝だったり、1点だったり、全国大会へだったり、優勝だったりを目指す(のを追っかけていく)番組。

 

これが本当に面白くて、子供が変わっていく様がほんとに見違えて、負け癖のある子供、本気で取り組めてなかった子供、どうやって練習したらいいかわからない子供が何かを掴んで、目が変わり、必死になる姿、そして結果を出す姿、結果が出せなかったときには(今まで流すこともなかった悔し)涙を流す姿、そういうものに心が動かされてしまう。

 

やっぱりどこか勝者と敗者のボーダーラインはあると思う。勝者は勝者になるだけの努力をしてきている。(もちろんその中には才能もある考え方もある知識もある)

そこで、「勝つ」もしくは「人に評価される」もしくは「結果がでる」「変化が起きる」っていうのはこういうことなのか!と感じることはとても大事だと思う。

 

だからこそ、努力を信じることができるようになる。結果を出した人を「才能」の一言で片付けずに、裏にどれだけの辛さがあったのか想像できるようになる。彼も彼女も私以上に努力したのだろう・・・と称えることができる。私以上に努力したやつなんかこの世にいないと自信に変わることもある。

この感覚を言葉で理解させようと思っても難しい。

そしてこの感覚は幼少期に味わってほしいなぁと思う。子供の世界で努力しているやつって少ないから、その世界では多分結果はついてきやすいと思う。(その代わりセンスあるやつがずば抜けて勝ってるけど、それを除けば、子供の伸びっていうのはかなり顕著だと思う。)

 

ここからはちょっと自分語りだけれど

自身がずっと陸上競技の長距離をやっていたけれど、小学校の時にマラソン大会があったのがきっかけだった。学年で10位内に入ると校内で放送されるのだ。だから10位内になんとか入りたいのもあって、校庭を1周するごとにマスを埋められるすごろくみたいなものをかなりやったし、家でもちょっと走った(そこを友達に見られると恥ずかしい気にもなった笑)。

んで当日、どうにか10位になった。「マジか」と思った。

でも11位になった子とも知り合いで、そいつは傍から見てもがむしゃらに頑張るキャラだった。だから別の知り合いの女の子に「え~、○○(11位のやつ)も頑張ってたから譲ってあげればいいのに」というようなニュアンスのことを言われたのを覚えている。

なんというか私は頑張ってないように多分見えてたのだと思う。こいつは俺がどれだけ「走ってきたかを知らないのだ」と思った。いわゆる「才能」でやってんだろうと思われたんだろう。弁解する気にもならなかった。苦笑いしたくらいだ。でも印象に残ってる。自分は間違っていないと思ったのは覚えている。

 

もう一つは

そのまま陸上をなんとなく続けて、中2のときにタイムが全然伸びなかった冬、闇練だー!といって(まさしく厨二感)部活が終わったあと夜家の近くを30分jogを追加してた日々があった。それがどうなるとか全く思ってなかったけど、ただ追加して走ればタイム伸びるかもくらいの感覚だった。

んで、春に記録会があったとき、3000mのタイムが一気に30秒くらい縮まって(9'55"→9'26")自分でびっくりした。「マジ?」と思った。経験則だけど中学高校くらいの陸上ってタイム出るときは一気にぶっ飛ぶ気がする。このときもまわりは「男子は伸びるんだよな」みたいな見方だったけど、「それは違う」と思った。人知れずやってたことがいきなり結実した瞬間だった。(思うんだけど、お前ら本人の努力と想像する余地はないんか笑)

 

そういうなんか、人よりも突き抜けた努力だったり時間の使い方をすれば、結果も突き抜ける(こともある)ということを感覚的に知ったのはこの辺だったかもしれない。

高校でも高1から受験を意識してたな・・・笑。お前ら全員ぶっ飛ばすくらいの気概はもってた気がする笑、なにがどうぶっ飛ばすのかわからんけど、勉強だったらぶっちぎりで勝つみたいな。笑

 

とにかく、ぶっちぎりのことをすればぶっちぎりに結果がついてきやすいのが幼少期だと思う。そのときに経験していれば、大人になったとき今ぶっちぎってる人がどれくらい何をやっているのかということに想像がいく(なにも知見のない分野だとこれを想像するのがホントに難しいのですが、断片的でもいろんな情報を集めるしか無いと思う)。大人になったらぶっちぎって当たり前みたいなそういう世界になってくると思うのでそういう成功体験を簡単に得ることは難しい。

 

だから、基本的に私も例えば労働なんかは、土日もできちゃうくらいじゃないと突き抜けられないのではないかと思う。土日も働けという意味ではなくて、土日も捧げても問題なく思える事柄に就いた方がいいと思う。土日も使ってぶっちぎろうと思える職は天職なのだと思う。(だからといって、別にみんながみんなぶっちぎって仕事したいと思っていないこともわかる・・・。それはほどほどに仕事をしてほどほどにプライベートを生きる、そういうのが心の底から楽しいと思う人もいるだろう。)

 

ちょっと前だと私も土日に労働は嫌だな~と思ってた。でも土日に労働が嫌なのも嫌だな~とも思ってた。もちろんまわりには、ほどほどに仕事をして土日はしっかり遊んで、毎日充実した(私からすればほどほどの)人生を愉しんでいる人も多い。それがある種の終着点だとも思う。

 

でも私はどこか、新しいことに挑戦してる人、突き抜けようとしている人、突き抜けた人がやっぱり魅力的に見えてしまう。

 

多分自身の尊厳とかプライドとかにもつながる気がする。どういう生き方している自分が自分で誇りを持てるか。肩書とかお金じゃなく、人に自分がしていることを自信持って話せるか。昔は卓球の愛ちゃんを目の前にしても自分の小ささを感じるばかりだった自分だけど、今ならあの時よりかは少しマシに話せる気がする。それは肩書じゃなくお金じゃなく、住む世界は違えど、お互いにぶっちぎろうと思って日々積み重ねているから。多分の回りにいる人が自分のレベルだよっていうのはこういう意味なのだと思う。

 

ということで私も今突き抜けようとしているところではあります。

f:id:naga-yu:20170225120333j:plain(つまりこういうことだと思うのです。カイジより)

 

世界を変えられると吐くのは大学生までかもしれないけど、1周回って今そんな風に思えるのはよほどの馬鹿か、本物か。根拠のない自信を持って良いのは幼児までですが、根拠がないわけじゃなく、この道をいければ多分世界は変えられる。世界とまでは言わなくても半径100mくらいは変えられるのではないか、と思ってる。

突き抜ける、それができるほどの時間が人生にはある。たぶん。

試験(は10年前でした)

週末はセンター試験だ。

大雪の予報もあるみたいで、どうかお気をつけて挑んで下さい。

 

この歳になって思うけれど、センター試験は厳しく言えば

勝者と敗者のボーダーラインがはっきり引かれるいわば試合だ。

そして人生においていくつかある試合のうちのひとつだ。

おそらく20歳前後の自分にとってはその試合が人生最大の試合かもしれない。

勝者や敗者などを好むと好まざるにかかわらず意識させられるかもしれない。

 

これまでの努力や我慢が実を結び、大いに健闘できることはもちろん祈っている。

がんばれ。マークシートのずれだけは気をつけろ。

 

 

でも、結局勝者と敗者に分かれるのがこの試験というシステムだ。

それはおそらく残念ながら単純に”どれだけ努力をしてきたか”で決まるものではないだろう。たまたまど忘れすることも、たまたまマークシートがずれることも、たまたま覚えたところがでることも、たまたま冴えてることもあるだろう。

 

でも、結果は非情だ。自分より勉強してないやつが受かることもあるだろう。自分より勉強したやつが落ちることもあるだろう。

その時、「努力は必ず報われる」などと言えるだろうか。単純に努力が足りなかったのだろうか。

 

綺麗事に聞こえるかもしれないけれど、10年経った今思うのは、

確かに結果はもしかしたら運に左右されるかもしれない、でも、努力や行動は運ではなく、何に左右されるものでもなく自分が決められる"選択"であるということ。

書店にいって良さそうな参考書・問題集を探そうとした行動、わからないところを先生に聞きに行った行動、深夜にひとりで机に向かった行動、単語帳を何回も何回もめくった行動。すべては自分が選んで、選択してした行動だ。

その行動を選択したということが一番尊いと思う。

 

今は試験が人生最大の試合かもしれないけれど、人生における試合はこれからも結構多い。社会人・恋愛・スポーツいろんな試合がきっといろんな場面であるだろう。何も1回の試験だけで全てが決まるわけではない。決まるわけではないし、結果がでたら出たで次の手を考えなければならない。何かを選択する、行動する、その結果を見て聞いて感じて、また考え、新たな選択をしていく。生きていくって結構そういうことだ。ちなみに生きるほど人生の難易度はあがっていく。

 

でもそのときに、どれだけの行動で物事がどうなるのか、ましてや一度地獄を見るとどうなるのか、どれほどの努力によって実を結ぶのか、試合に勝つというのはどういうことか、試合に向けて努力をするというのはどういうことか、知っているというのはとても重要なのだと思う。

 

私が挫折経験をしたのは試験ではなく、今この瞬間なのだけれど、これをもし試験のときに味わえていたら人生はもうちょっと変わっている気もする。いい意味で。

 

だから結果に一喜一憂するな。と前日に言うのもなんだけれど笑。

すべての人に良い結果はもしかしたら出ないのかもしれないけれど、それでもそのために選択した行動は「自分」そのものだ。

それがきっとまたあなたのゆくみちを照らしてくれますように。

失うものなどなく、考えたこと行動したこと、それら全てが糧になる。

 

深呼吸。

 

 

人間はなんだかんだ人間が好きな話。

人間はなんだかんだ人間が好きだと思う。

私は今のところ人間が生きることの本質はコミュニケーションだと思っている。

 

人間の生活はコミュニケーションによって支えられている。

毎日顔を合わせる人、家族、友人、仕事の人、コミュニケーションするからこそ満足を得られている部分もあるだろう。(それ故に苦しんでいる方もいるかもしれない)

 

じゃあ、1人が好きな人は、引きこもりは、動物好きは「コミュニケーションしてない」かといえば、そんなことは無いと思う。

着ている服、住んでいる家、歩く道、あたたかい料理、洗濯機が回ること、看板があること、インターネットに繋がること、飛行機を手配すること、犬が喜んで飛んで来ること、ネコが擦り寄ること、どれもコミュニケーションだと思っている。人が1人だけで生きることはほぼありえない。

 


祝!九州 九州新幹線全線開CM180秒

 

このCMを久しぶりに見て、人のチカラの偉大さを感じた。

なんというか、人がポジティブな感情で集まり、表現されることってこうも心を動かすものなのだ。

 

(CMなんていうものは、コミュニケーションの代表格かもしれないね。)

 

コミュニケーションをするひとつの要素に「手間を感じる」ということがあると思う。

 

このCMだって僕が感じるのは大いなる"手間"だ。

まず、沿線に出てくるのに手間がかかる。手をふるのも手間がかかる。

ましてや、横断幕を用意するのも手間がかかる。歩道橋に並ぶのも手間がかかる。

新幹線が通るまで待ってるのも手間だ。そこで一芸を披露するのも手間だ。

それを1本通しでカメラを回し続けるのも手間だ。

あるいは誰かはそれを「凝っている」と表現するのかもしれない。

 

その手間ひとつひとつを頭や心のどこかで感じられたとき、すでにコミュニケーションは成り立っている。別にコミュニケーションは毎日顔を合わせなくても、一言も喋らずとも成立すると思う理由だ。

 

その手間が想像を絶し、それでもそれを超えて何かを成そうとするとき、それを超えて何かが花開く瞬間、(涙が流れることもある)それはとても美しいものだと思う。思ってしまう。スポーツ選手のそれも、受験生のそれだって変わらない。

幾何学的に綺麗だとか、デザイン的に、美的センスが、美学が、というのではなく、人のもつほんとのパワーが満ち溢れているように感じられる。

 

それを美しいと思うのは、自分が人間だからだと思う。

人間(私)はなんだかんだ人間が好きなのだと思う。

 

 

 

 

元日

明けましておめでとうございます。

旧年中はブログをお読みいただきありがとうございました。

後半はほぼ更新ができず、する暇がないほど思考(試行)錯誤ばかりでした。

 

2016年は勝負の年だとか、苦しい年でしたが

2017年はトリ年ということもあり、飛躍できるように歩んでいきたいと思います。

 

元日はDragon Ashから始まりました。

朝日の中ランニング初めとなりました。

 

本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

今年の主役がいました。2017.01.01

f:id:naga-yu:20170101094311j:image

人生ちゃん

僕が生まれてから今までずっと隣りに「人生ちゃん」がいるとして、

その子が僕に何を期待しているかを考える。

 

僕が人生ちゃんに期待するのではなく、人生ちゃんが僕に期待しているのだ。

誰だ「人生はマラソン」って言ったのは。


いいなCM リクルートポイント 池松壮亮 すべての人生が、すばらしい

 

2分ほどなのでちらっと見ていただけると。

 

 

 

結構言いたいことの9割くらい代弁してくれているCM。

 

リクルートが作っているのが皮肉だ、という声もありますがそれはひとまず置いておいて。

 

素晴らしいCM、中身のメッセージと演出もさることながら、これだけのエキストラと道路使用と、撮影場所の多さという手間を感じるとより一層深みが増します。

 

今をときめく池松壮亮さんが出てるところもいい。

 

人生はマラソンじゃない。「人生はマラソンじゃない」じゃない。