handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

どうにもならないこと

人生はどうにもならないことをどう呑み込んでいくかということじゃないか。

 

姪っ子が相変わらずぎゃんぎゃん泣くのですが、やだやだ言うんですね。

今回は何かを「遅いね〜」と待ち続ける場面だったのですが

何かを待つってどうにもならないじゃないですか。それが動かないとこちらが動けないのだから。

(確かに待ってる時に、何かゲームをして待ってないように感じさせるというのもある意味吞み込み方でしょう)

 

でもそのどうにもならない時間ってきっと子供にとってはただただ居心地の悪い時間で泣きたくなるんだろうと思うんです。

 

思えば、生きていればこのどうにもならないことのレベルが上がっていくのだと思います。

希望の学校に入れなかったとか、就職できなかったとか、好きな人にフラれたとか、大事な人が亡くなったとか。

 

そういうとき、無力な子供のように泣きたくなってしまうんだろうなぁと思う。(言い換えれば心が自分のコントロール外にいってしまうのだろうけど。)

 

どうにもならないことをどう吞み込むか。

いくら大人になっても居心地悪いもんは悪いんだけどね。

 

居心地が悪いときの対処法が決まってたらいいね。ちょっと悪い、悪い、すごく悪いとかでハンドルの重さが変わってくるでしょうけど。

 

ときには這いつくばるしかないわ。