handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

望まずに臨む。

悲しいこと言うけど、

誰も自分を好きじゃないし、特に別に誰も自分に興味なんてないよなーって思ってると、

いい意味でも世界がどうでも良くなってくるよ\(^ー^)/

そう

最近そういう前提に立ち始めると、なぜか人に優しくできたりさ、思い切ったことできるようになったりする、よ。

誰かから好かれることを望むんじゃなく、誰かを助けに、つまりは自分の好きなことで臨みにいくんだ。

ある人は言う。

自分が好きなものについて考えてみると、のっけから好きだったっていうよりは、ちまちま接しているうちにだんだん面白くなってきたとか、気付いたらしょっちゅうやってたとか、長い付き合いの中で好きが育っていったっていうのが多い。

のに、年とると第一印象で好き嫌い決めちゃいがちになるのなんで。

その通りだな。

年をとると、なんか値踏みしてる自分がいる、気がする。

それはある程度の人と出会ってきたからてのもあるだろう。

そして何かに焦って、最初に答えを出そうとしたり、目に見えた結果とか関係性をもとうとする。

いやー、きっとそんなんじゃない。

自分で言っておきながら、結局できてなかったわけだけど(笑)。(1回やったら次は、ないよ…!(笑))

もっともっとじわじわ何かを好きになれたらな、というかそゆものは、なんらかのタイミングとなんらかのハプニングによってもたらされるわけで、そゆのが現れるまで、無理に何かを考えたり、想ったりする必要はないわけで。じわじわなんて言う必要もないわけで。

好きとか嫌いとか考えないところに好きとか嫌いとかは存在しているというか。

確かに、好きも意識できれば幸せだろうけど、意識しないといけない好きと意識できる好きは違う。(これはもう完全に私の主観的な話。)

落ち着いたものを求めて。

ま、ともかく淡々と生きていくしかないさ。じわじわもあるかもしれない、ないかもしれない。

そしてそれとは別次元で、あるいは平行に、僕は臨みにいかなくてはならない。

それがいつか誰かとぶつかるとこ、そゆのを大切に生きる。

望まずに臨む。