handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

akkan-be-

あっかんべーって英語だとyah-hooらしいけど、イタリアだとpernacchiaらしい。

でもどーも、日本とは様式が違うみたいだからなんとも言えず、あっかんべーをタイトルに。

うにゃ、いろんなことを書きたいと思う。3つくらいかな。

言いたい順に書き連ねよう。

まず、なんか思考停止状態になってしまった。

なんだかようやっと山は越えたかなと思ってるところはあるのだけど

就活も今日これから面接だったり、いろいろ考えてたら。

授業に行く元気がなかった(学校には行くけど)

正確に言えばどうも、授業に行ってしまうと自分が考える時間がないなと思っていかなかった。普段は面接あっても行くのに。だから面接とかのせいとかいう次元じゃない。

自分のことを考える時間のために。

なにが大切かって。本当に悪いですが授業より、ちょっとそちらを優先させて・・・・・。

面接の確認のメールもしなきゃいけないってことに当日気付くアホウだし。もーう、ちょっと待ってと言いたくなるけど。やっぱり待ってはくれない。

だから授業の時間を使わせてもらって、ちょっと待てと。(笑)

多分、思うことは2つで

結局はみんなにとって悪者であるんだろうなー、と、

結局はいい人どまりなんだろうなーと。

矛盾したことですけど(笑)

高校のときにもあったなー。人に影響を与えたとしても(おそらく良い意味で)結局は、なんにも起きないのだ。たとえ、俺のおかげでその人の人生変わろうが俺にはなんにも・・・。

まぁ見返り求めているわけじゃないし、そーやって前を向けた人が楽しく過ごせりゃいいんですけど。

たまにはって、何かくれないもんですかね。(笑)

とはいえ、まぁ俺も違う誰かに大分支えられてはいるのだが。

でもそーゆー人にはプレゼントやら気はいつも使ってあげたいなと思う。

強がっているわけじゃないとは思うけど、1人でいるときなんてみんなわかんないじゃーん。

大丈夫?って聞かれても俺は大丈夫って答えつづけてしまうんじゃないかと。いや、たまにダメっていうな。

たまには誰かの胸を借りたいときもあるもんだ。

それは俺は少ないかもしれないけど、そーいうときもある。

うぬー。

悪者の話はいいか。

悪者は大変だぜぇ、正義の味方の方がよっぽど楽だ。(20世紀少年

でも、心の中にしっかりあるから大丈夫。どう思われようと。

わかる人には確実に伝わるし。

ってか悪者じゃないし。ね。

正義と正義の戦争でもない。わかる。わかっているつもりだ。

情報が少ないと、いいように解釈して決め付けてしまうから。

まぁ、ないようにしたいですが。

ほとんどの場合理由があるはずやもんね。

遅刻してきた人がいたら、

電車が遅れてたのかもしれんね。

途中でおばあちゃんを助けてたかもしれんね。

UFOに連れ去られそうになってかもしれんね。

理由を聞くと納得できるかもしれないし。

だから、「知る」と同時に「知ってもらう」も大切なのじゃ。

にゃふーん。

あ、思い出しついでに

道を知らないせいで土地をさまよう人がいたら、追い払うより正しい道を教えてやるほうがいい。

自動販売機じゃないけど、メロディーフラッグじゃないけど。

あぁ

そういう意味だったのか、World's End。

そこにあることで誰かが特別喜ぶでもない

自動販売機みたいにこの街にぼっーと突っ立って。

さっき言ったことみたいね。

はい次

と、思いつつ、さっき読んだ本とか桜井さんに助けられる。

ある種の逃げではある。知ってる。

でもそこを知ってるだけでも例えば3週間前の自分とは違うんだよね。

うん、そのまんま。

1つ目の話で例えばもやもやしても、

ほう、もやもやしてるって思えたり、何か答えを探しているんだなって思うだけで、楽しめるよう(それは言いすぎだけど)に変わってきた気がする。

心じゃない自分を見つけるというか。

(てゆーか、ブッタとシッタカブッタっていう本なんだけどね。(笑)

そうすると、答えを見つけるだとか、言葉にするとかよりも、ただそれが起きて、感じていることを受け入れられるのよねー。

ただ、自分だけであればそれでいいのだけど、人に伝えるときは言葉にしなきゃいけないかなーとも思う。

愛とかは伝えられるかもしれないけどね。(相手として)それができるのは一部の人だろう。

うん、言葉ってたいしたことないのねっと思った。

でも発信することも忘れちゃいけないとも思う。

何者でもない自分とやっていくのだ。と。

人生ってなんですか?

あっかんべー。なのである。

うい、そして次。

外に出ること。

が大切なんだなーと思った。

例えば、この前のことだけど

渋谷野外アートフェスみたいのをやっていて、(残念ながら@1人)

それを見ていると刺激って受ける。

いやむしろそこまで行く過程でも刺激を受ける。

例えば電車内でも、車内にいる人を見るだとか、広告をみるだとか、それで情報が入ってくるだとか。

もちろんアートフェスでも、ダンスとか、現代美術っぽいやつとかを見て刺激になる。

それがなんの役に立つかはさっぱりわからんけど、それを見ることによって刺激は受けるのよね。

その経験はいつか必ずどこかで必要になるのよね。

インターネットだけでは確実にわからない世界。不確実性の高いことなんよ。

そのついでにルミネマンに行ってみたり、あーまず値札見るとかしちゃだめだなーとか感じたり(笑)

これかっこいいなとかこの雑貨プレゼントしてあげたいなーとか思うことがまずは大切なんだよね。

それによって感度が上がるから。

渋谷に行くってだけで、それだけ体験がある。HMV行くにも、ミスチルのドームツアーDVDそろそろじゃん!とか改めて感じたり、本屋にいくにも、こーいうディスプレイいいよねとか思ったりさ。

それだけですごく貴重なことだと思う。

昨日もさ、家にいちゃいかんだろGWだし。と思うところもあって日比谷公園行ったらさ(日比谷図書館は夏まで休館・・・)

かりゆし58さんが野外ライブをしているらしくその音を漏れ聞けたし。

皇居広っ!って思ったし。この二人はカップルなのなんなの?って詮索したり(笑)

本も読んだりして。

なにより、友人とばったり会うっていうことが起こるってことなんだよねー。早稲田じゃなくこんなことが起こるのってかなり珍しいのだが。

ともかくそんな刺激を受けるんだから、家にいるだけじゃいかんのじゃなって思った。風に吹かれるでもよし、草にさわるでもよし、太陽浴びるでもよし。

そのこと自体を楽しんで(は言いすぎだけど)、自分のなにかにできたらいいんじゃないかなーと思ったとさ。

んじゃ、最後に

こんなおっちゃんたちは素敵だと思った。@渋谷

P1020561.JPG

P1020562.JPG

P1020564.JPG

子供のような好奇心を忘れずに。

子供のときの気持ちを忘れずに。

それが原点なのかもね。