結婚はさておき、bumpじゃないけどこの人のために今までの人生があったのだ!と思えたことがあるので結構幸せな部類なんじゃないかとは思ってる。あれ経験しなきゃわからない感覚だと思う。
それをすぐに、そして永く手に入ると思えるほど強欲じゃあないって感じ。
結婚はさておき、bumpじゃないけどこの人のために今までの人生があったのだ!と思えたことがあるので結構幸せな部類なんじゃないかとは思ってる。あれ経験しなきゃわからない感覚だと思う。
それをすぐに、そして永く手に入ると思えるほど強欲じゃあないって感じ。
好きじゃない人に好かれたこと①があると、好きな人②に好かれなかった場合でも、②にとっての自分が①にあたるのか。と思うとすっと納得できてしまうので失恋したらそれがおすすめです。
自分が大人になったと思う瞬間は、
高いもの食べたとか、いいところ泊まったとかという贅沢した時よりもむしろ、
欲しい人やものや場所を我慢したときに感じてしまう。
我慢というか、その気のそらせ方を自分でわかってしまうときか。
よくないよなー。
欲しいものやことを手に入れるときはいつだって子供みたいな顔してると思う。
付き合いたいとか好きというのは、かわいいとかじゃないんだよな。prettyじゃなくて、pretty good の方でさ。そういうときは「かわいい」じゃない気がしてきた。
なんかもっと(使うとしたら)「かわいい」の使い方にもっと自覚的になろうと思った。
「かわいい」(中身は知らない)と
「良い」(中身も知ってる)と
「素晴らしい」(中身しか知らない)
感覚で分けるとこんな感じかもしれない。
「かわいい」では好きにならないし、それで好きになるの失礼な気さえする。
でもほぼほぼ入口はどうしたってこの辺になる。
「良い」になるまでにはそれなりに時間がかかって。だからこれは恋愛観というよりも、個人の特性のような気がする。何かをするとき全体像がみたいし、どちらかというと慎重派だし、まぁ知るために飛び込んでみないといけないこともあるのですが。(それが人の場合、同じ方向を見る必要がある気がする。)
かわいい人や素晴らしい人と結ばれて良かったですね。おめでとうございます。
(日が高くなるにつれ自分何言ってんだって感じするが、残しておくことが大事なような気もする。)10時までの内省タイム。
天気の子観ました。
感想。(異論には反応しません)
ネタバレ含む。
背景とか映像がリアルだったら何やってもいいと違うんやで、と思った。
けど、もはや逆で、そのリアルさでどこまで無茶なその他全ての設定を飲み込めるかチャレンジしてるように見えた。
※その他、青春アニメあるあるみたいなやつをくそほど散りばめているのもその上記のチャレンジのひとつだと思う。それがリアルな側に位置するのか無茶な設定の側に位置するのか微妙だけど。「あるある」も連発すると「ないない」になるんだなーと観ながら思った。警察に追われるとか。主人公の厨二感とか。
そのためにどうせならとくそほどタイアップしてるんじゃないかと思った。
ただその弊害としてアニメでリアルにしなくていいとこいちいちリアルにしてるから逆にリアルじゃなくてただのプロモーションに見えちゃう。
かつその描写本当に必要だった?みたいなところ多くてうんざりはした。からあげくんが出てくる意味はプロモーション以外にあった?なぜあのカットが入った??
もはや実在の物や場所はこうやって描くと喜ぶよね?だから描いてあげますみたいな気持ち悪さはあった。
だからストーリーという本筋よりそっちが気になっちゃって…。
ストーリー自体は、君の名はと比べることでわかりやすくなると思う。
君の名は、なぜお互いが惹かれたかというとざっくり言って(顔の良さはさておき)周りの友人関係の中にある自分(他人)によって自分(相手)の魅力に惹かれる話だとして
今回のこれは全くの互いの孤独によって惹かれあった話だと思うから。
そうじゃないと一目惚れだけというだけで説得力が薄くなってしまいそうなので、上記のような補足的考えがあるといいと思う。ただその時点で君の名はありきで、このストーリーが考えられていて、君の名は同じくなんとなーく民間伝承みたいな話をそれっぽくまぜて、(人柱ってそこまで一般的な単語かな??)それっぽーくした感はある。
サントラとかは先に聞いちゃってたから悪いのかもしれないけど…あー、ここで入るのかー的に感じてしまって…声が入っているのを一番のクライマックスで流したら声に引っ張られて映像がただのPVになってしまう感…。
というわけで、描写の話も合わせて、とにかくなにかのプロモーション感が強くなってしまってた。
だから本筋がぼやっとして発表試写会間に合わせられなかったんじゃないかなーと邪推している…。ぎりぎりまで練っていたと言えばいい表現ですが…。
小栗さんいい声。
曲はサビが好き。
作品のリアルさについては君の名はの時にも触れていますが、今回でリアルさのただただ追及ではなくこのリアルさでさえどう使うかが重要なんだなと思い直しました。
この時はリアルさへの賛辞しかなかったけど。もう一段そのリアルさをどう出すかという次元があることを知りましたね。
追記。
なんにせよ、企業タイアップに関する情報が早く出過ぎててストーリーを邪魔していたことは間違いなく、それは話題になったあとにネタバラシをするというリスクをとれなかったスポンサー企業の度胸のなさだと思う。1年後とかの金曜ロードショーで盛り上がれれば良いですよくらいで考えられなかったから。「なんか有名なやつとやるんでしょ?じゃあ一番盛り上がる公開時に知らせないと意味ないじゃない?」とおっさんが言ってるような絵が浮かぶ。
もしくはやるにしても、Twitterとかで知ってもらうとか、企業のSNSとかインフルエンサーに頼んで、実はここが…みたいな自分だけが知ってる情報みたいな感じで出せば良かったんじゃなかろーかと思う。
いちいちテレビCMでここの場面が!ここのセリフが!とか言ってるの、なんなの、アホなの。
スポンサーとプロモーションをはき違えてるの?もともとプロモーションなの?タイアップなの?という感も相まってやっぱりPVなのでした。
コンテンツとしてさえ成立すれば息が長くなるのに、それを急いだ企業がアホなんだな〜といち視聴者は思ったのでした。だって君の名はのたきくんとみつはなら今でもCM組めるでしょ。カップラーメンならたきくんとみつはに食べさせて、2人が天気の子を見てる、みたいなCMにした方がよっぽど良かったと思います。
物理的に、あー、今日は休みだから株式市場でもしっかり見られるな〜
って時ほど、身体が限界だったり(そのための有給なので当たり前なのだが)、市場環境がわるかったりする。
ふむ…。
今日まじまじと自分の顔を見ざるを得なかったけど底が知れた顔で、これはまじめにがんばらないとダメだなと思い直した。(顔以外)