みんなが思う幸せで仮想幸せで80%くらいは満たせる。
みんなが思わないけどあなたが強く思える幸せなら100%満たせる。
みんなが思わないということに気を取られたらその100%はすぐにしぼむ。
それは必死に守らないととても脆くて嘘っぽくて信じられなくてすぐにかき消されてしまう。
幸せを信じられるならそれが幸せ。
みんなが思う幸せで仮想幸せで80%くらいは満たせる。
みんなが思わないけどあなたが強く思える幸せなら100%満たせる。
みんなが思わないということに気を取られたらその100%はすぐにしぼむ。
それは必死に守らないととても脆くて嘘っぽくて信じられなくてすぐにかき消されてしまう。
幸せを信じられるならそれが幸せ。
睡眠を優先させたい。
眠い状態で起きているのがきつい。
はやく態勢を変えなくては。
“自分の人生ちゃん”がもし存在してたらどういう目で俺のこと見てるだろうかね。
期待してくれてるか。失望してるか。手繋いでくれるか。抱きしめられるか。
先日まで人生で後悔した場面は2つあると思ってたのだけど、
それについて考えてみた。
そうしたら、どうしたってあの環境やあのコースで、私のような人間が下す決断としては、あれしかないような気がしてきた。
なんなら、あの場面でも悩んだし、今まで後悔したとして、今現在なんかしょうがなくね?それ以外の道なくね?みたいに思えるところまでが1セットなように思えてきた。
ゴルフのグリーンでいえば、そりゃそのラインに入ったら、カップインするやろみたいな、感覚。
自分を客観視するとなおさら、そんな前提条件だったらここで私みたいな人間は100%こう動いちゃう、こう結論出すだろうな〜みたいな。
場面で言えば、後悔しているだろうし、過去に戻りたいと思うところもあるけれど
そこに至るまでの紆余曲折や、その時の環境やタイミングとかそういうものを照らし合わせると、もはや私の意思ではなく、見えざるガイドラインみたいなものがあって、そのラインに乗るだけで後悔も付いてくるセットなのだ。
そう思えてきた。
だから点で言えば戻りたいし後悔なのだけど、線でいえば、ラインで言えば今日のここまで繋がってるただの後悔だ。
仕事に就いているから顔色がいいというよりも固定給があるから顔色がいいのだろうと思った。
安定があるから飛べたりもする。
実現したい未来を手にできていない悔しさはずっとある。
齢30になってきて思うのですが、
ここらへんは気を抜くと色んな欲に目移りさせられます。周りが好きなものが自分も好きだと錯覚したりもします。
解像度と取捨選択。
それをがんばってもまぁ自分の空っぽさに辟易するのですが、抗ったという事実は残るのが唯一の救いって感じです。
何を思ったかなんて忘れますが
事実は忘れません。
頑張ったことは結果です。
自由に生きることに関する感度
気を遣わないことに関する感度
底で感じてることに関する感度
それが高いだけ。おそらく。
みんなが間違っているわけでも、見て見ぬ振りをしているわけでもない。
感じない、もしくは鈍っている。
だからその分野では多分心地よいのはこういうことだろうと一歩先の未来を見せられるかもしれない。
戯言かもしれない。
今日ドラムを叩きたいと思って
初めてスタジオを個人練習で借りて
叩けないドラムをダムダムドスドス叩いて
初めてスタジオのアンプにエレキを通し
スタジオマイク伝いに発声し
スタジオの外部出力からミスチルを流したりした。
一連のこと、わからないことも多くて
機材の動かし方やらなんやらわからないこともあったけど操作していくうちに知ったりして
その前に音楽で全然生きてない私がスタジオの会員になんかなっちゃったりして
ともかく好奇心だけでいろいろやったけど
こういう「新しい」があるのはとても良いことだなぁと思った。
わからないことに飛び込んでみたり
好奇心がそれに打ち克てたり
そりゃ経験者からすれば微塵もないことなのですが。
自分からやった「新しい」があることはとても良いことだと思ったし、そういうの続けたいと思ったしせめて1年に1回でも「新しい」があるような生活をしたいと思った。
ギターを持ってスタンドマイクの前に立つ自分を鏡で初めて見た。
伝統は、クラッシックは
良いから残る。