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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

前を歩くこと、後ろを歩くこと。

なんとなく自分と同じような道(例えば大卒して社会人になってとか)を歩いている人に自分はもうその道を通ったからって

「まだそんなところにいるのかー」とか

「その道は大したことないよアホんだら」

とか言うのは多分やってはいけないことだ。

黙って見守っていること。

単純なことではなくその人はその人にとってその人の問題もあったりするのだから。

自分も自分の道をきちんと前を向いて進むこと。

 

後ろ(正確に言うと後ろではないけど)が気になるってことは前を向いていない証拠。

 

社会人なりたての頃に、テンションの浮き沈みが激しかったり、敏感だったり、人恋しくなったり、Twitterのつぶやきが増えたり、先のことを匂わせてみたり、昔を懐かしんだり、今が無理やり楽しいとか言い聞かせたり、自分はちゃんとしてるとか言い聞かせたり、きっと私もそういう風な、もうその道を通った人からしたら「はいはい、お決まりの季節病ね」と思われるようなことをしていた時期もあったと思う。

そして先輩から見ればいつでも現在進行形でそういうことをしているだろう。

 

でもそゆときにも、きちんと人は立てつつ、支えてくれている人が多かったと思う。

 

だから見てると、うずうずしたり、「きみきみぃ~、そうじゃないよ」とか思うことも山ほどあるんだけど、そゆこと言うのはきっと野暮だ。

求められたら答えてあげるべきだと思うけど。

つまりいうたら、ある種の人はいつまでもそういうものは埋まらないね。

後輩は後輩のまま。先輩は先輩のまま。

 

先輩にはなるべく先輩に合わせたい、その先輩が感じている感覚を知りたいと思っていろいろ聞いたりするけど。

後輩の人は先輩との差を埋めようとしないといつまで経っても「かわいい後輩」でしかない。それはそれでいいんだけど。いつまでたってもなめられたまんまで、対等にはなれないね。

 

とまぁ結論をいうと

先輩と後輩という大きな括りで表現してしまうけど

先輩は後輩のやってることに答えをしってても、後輩が結局は先輩が思ったところにたどり着くとしてもそれに対して口を出すことは野暮ったいし、渦中の本人に理解させてあげることも多分不可能だ。だから見守ってあげなさい。後輩からしたら、「お前はどうだったか知らないが俺は今俺の問題で悩んでんだバカ」って感じだ。うん。きっと。そして君は君のやるべきことをしっかりやれ。「後輩」という存在を自分の存在意義の大義名分に使うんじゃない。後輩にアドバイスした気になって気持よくなってんじゃない。前を向け。自分の道を歩け。誰もいない道をだ。

 

後輩は後輩でいつまで経ってもあまちゃんなこと言ってないで、問題にぶち当たっているなら、問題解決のブレイクスルーを目指そう。早く先輩の感覚を知れ。対等にいこうとしろ。知ろうとしろ。それってどういう感じなんですか、どんな仕事ですか、それってこういうことですか、楽しいですか、何やろうとしてるんですか、それならこういうこともできないですか・・・、いろんなことを聞こう、話そう。無駄な尊敬などいらない。無駄な卑下もいらない。ただただ「人」として見よう。そうじゃないといつまでも「後輩」のレッテルをはられたままだし、その先輩と「先輩」という枠を超えて「人」として付き合うことなんて不可能だ。これは尊敬する先輩ほどそうしたほうが良いと思う。

 

まぁ別に先輩後輩という枠で生きていくのが好きな人は、「野暮ったいこと」と「あまちゃん」を相互補助的に使い合えばいい。それはそれで需要と供給が成り立つのかもしれない。私はそういうのはあんまり好きじゃない。きっとぬるい。だからといって無用に噛み付かれるのも好きではないけど(笑)

 

 

自戒です。