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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

早稲田祭とその感想。

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先週の日に観てきました。早稲田祭
 
上記はSTOMP!の子たち。
私がやってたときより工夫が見られたりするので見ていて楽しい。
ただ1日目は雨でお客さんがあんまりいなかったことが残念。
でも観客の子から「すごくね?」みたいな声が上がっていてなんだか誇らしい。
 3年が引退しちゃうと人数が減っちゃうらしいけど、まぁ4年にもなってやってもらってその1年間でまた増やせばいいでしょう(って毎年言ってる気がする笑)
 
ともかく、フラットに見れるパフォーマンスで良かったです。
正月にビッグニュースがあるとかないとか・・・!
 
んで、早稲田祭をぷらぷら。
 
今回そもそも早稲田祭を見る気はあんまりなく。
というのも所属していた団体だとかを見ると、大体もう私の間隔がフラットなものになっていて、所属してたから、自分が作った曲だから、とかそういう想い補正の部分ってそこまで発生しなくてですね。
そうするとつまり悪い(未熟な?)ところが見えた時、普通に「ここダメだな」みたいなダメ出しが頭に浮かんじゃうんです。
 
(地球感謝祭の時も見たんですけど、それは先輩方懐かしい人達と観ている補正がありまして、極端に言うと踊りなんてどうでもよく盛り上がればいいじゃんって感じなので楽しめますが。それでもきっと温かい目で見れるOB・OG方とは感覚が違うんだろうなぁと思います。例えば「こうした方がいいのになぁ」と思うところが10コあっても、そのうち先輩たちにも、学生にも話せるのは1コもありません。(笑)
先輩たちも、学生も、今それを見て、やって、楽しんでいるのに、極端に言えばそんなようなおっさんのただの愚痴を消化できるところはどこにもないのです。
昔こうだったねー!っていう話も得意ではないので、ちょっと離れたところから見るので結構精一杯。)
 
 
というのも、別の団体のOBの話を聞いたら、所属してた団体の発表を見て
「クソ下手だな」といった感想を普通に吐いていた、ということ。
 
この話を聞いて、そうか。そういうことかと思ったのでした。
今皆が楽しくやっているそれは、上手いとか下手とかそういう物事の捉え方ではなくて楽しいか楽しくないかで考えているだけなので上手いだとか下手だとかを冷静に評価してしまう私の感覚がずれているんだな、と。
だから私が同じように「クソ下手だなー」と言っても、きっと苦笑いしかおきないんじゃないかと思っている。笑
 
そんな風にきっと誰とも馴染めない、消化できない想いを抱える気がしたので
今回はできるだけ見ずに過ごしたいなーと思っていたのでした。
 
思えば、そんな風に、もっと上手く踊りたいけど、"みんなが楽しいと思っていることに水を差せない"といった理由で辞めていった先輩もいました。
当時私は、それでも自分が上手く踊ったりしてれば関係ないんじゃないの?とか
上手く踊るがゆえの楽しさを広めたら良いんじゃないの?とか軽く考えていましたが
(現役の発言力ある頃はそんな風に舵をとっていましたが)
その団体にいながら、感覚のマイノリティさを感じるとなんとも居心地が悪くなってしまいますね。
 
 
その時、ちょうど、鴻上尚史さんの本を読んでいていて
全く関係のない「他人」から、関係のある「他者」。
深く愛さない「他人」と、喜びと同時に孤独や不安をもたらす「他者」。
という概念を知りまして。
 
他者は
受け入れたいのに受け入れられない。
受け入れたくないのに受け入れなきゃいけない。
という葛藤がおこったりするものなのですが。
それがつまり自分にとっても切り離せないもので、つまるところ「好き」にも
繋がるんですが。
(思えば、本当に好きな人は単純な好き、ではなくて、苛立ったりするのは
受け入れたいのに受け入れられない。
受け入れたくないのに受け入れなきゃいけない。ことがおこるから。別に好きな人じゃなければ、勝手にどうぞー、ああそういう人なのねーで終わっちゃうじゃない)
 
 
あぁー、
受け入れたいのに受け入れられない。
受け入れたくないのに受け入れなきゃいけない。
と思っていたのでした。(笑)
それはまぁ自分にとっても「他人」ではない関係ということになるんでしょうけど。
 
でも解決策は見つからず(笑)
 
 
まぁ今回はあんまり深く入り込まず、さらっと見るだけにしようということで。
ふらっと回りました。
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 というか、こんな「お祭りの社会的責任」とか
アホみたいな真面目なこと(良い意味で言ってます)をアピールしてくるの早稲田くらいだと思うんだけど笑。
 
企業だったら、それぞれの利害においてそれぞれが分担できたりするんだろうけど
実行委員会の集まりだったら、それを好きじゃない人も担当しないといけないから
そのところもどうなんだろうなぁって思っちゃう。
 
そうか。あの多分1年生にやらせる道路警備の違和感ってそれを本当にやりたい人がやってない感があるからだよね。なら道路警備がメリットになる人、メリットを作ればいいんだよね。警備が広告になったり。セコムだったり。実行委員会って名目で人を集めつつ、やるのが道路警備だからなんか違和感があるんやね。んで変に道路警備が祭りを担ってるんだとか結論に達して自分を納得させちゃう。いや別に間違いじゃないし、「本当に君、それでいいの?」って100回問われて100回そんな風に答えられる自信があるならいいんだし、それならそういう才能に恵まれたんだね君はって感じですけど。
 
 
んでエンディングもさらりと見て。
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思ったことは、老害の小言なんだけど、詳しく覚えてないけど「早稲田生最高だ~!」的な感じがあって、それを自分たちで言うのはなんだか恥ずかしい気がしました。政府が「クールジャパン!(ドヤァ)」というのと似ている気がしてね。
 
 
そもそも今回のコピーである「主役」ってなんだろう、から始まっちゃうんだけど、ステージにあがる以外も主役だし、そもそもステージであがることが主役というのもきっとどこか視野がせまかったりするんだけど、私も大学の時はそんな視野の狭さで今の大学生とほぼ変わらないこと言ってたので責められませんな笑。
 
そうなのよ、それゆえに後輩はいつまでも後輩のままで「お、すごいなぁ」ってラインを超えてこないのです。学生はいつまでも学生のまま。
私が今思ったことを、後輩は3年後だかに思うだけ。
(それは私が私を超える人に会ってないっていう努力不足ももちろんあるんでしょう)
 
せっかく同じ時代に生きているんだから、私のことを話すし、後輩はそれを聞いて
私より2年早く知ってその感覚を体験して、2年後には今の私より遠くにいってもらっていないとやっぱり困る。(そしたら私ももっと遠くに行けるように努力しないといけないんだけども)
 
 
というようなことはやっぱり抱いてしまったのでした(笑
だからとりあえずここに書いて消化(笑)
 
 
完全に「他人」になってコンテンツだけ楽しめばいいんだろうけど
そうすると寂しくなったり、そもそも楽しくないコンテンツ分類されちゃいそうで、そうしたらやっぱり見れないものになってちゃったりするのでなかなかこれらとの関わり方は難しいですね。