handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

over age 35

わかった気になるというのは何かの形に何かをはめることのような気もするが、齢35を超えてわかってきたことを無理やり言語化すれば100人いれば100通りの人生があるだけだ。

 

人にそれぞれある程度の枠が存在している。限界というわけではなくて、考え方の枠といってもいいかもしれない。癖と言ってもいいかもしれない。ただ枠が限界を設定していることもある。

 

別にそれを知る必要もなければ、ブレイクスルーする必要もないし、人生にそんなものも必要ない。が必要ないことを言いたいわけじゃなく、うまく生きるということはこの癖と生き方をぐるぐる作用させながら回すことなんだろう。

 

まぁうまく生きる必要もないのだが。生きやすくという意味ではいいのかもしれない。

 

もちろんオリンピックやスター選手たちは心技体揃っているのだが、もちろん尊敬の念もあるのだが、そこに優劣は感じないというか、運もあるし、いろんな要素がぐるぐるぐるぐる人生を回したのだなと思う。

 

だからオリンピックは国の話というより、人間が身体的、精神的、戦略的な限界に挑んでいる姿があることとそれを見れるということにおいて素晴らしい。そもそもなんで国だと思ってるんだろうな、それぞれオリンピック支部があるくらいで見ればいいんだよな。帰属意識とバランスが取れれば良い作用する。

 

話はそれたが、だからそれは例えば年収みたいな話でもそうだし、その高低が優劣を決めるものではないと思う。もしかしたらこだわりの強弱は表しているかもしれないが。ただわかってきたと言いたいことはそういうことなのかもしれない。優劣ではなく100通りの何かの要素の組み合わせがあるだけ、何かの組み合わせや何かの強弱があるだけ。初期値が平等だとは言わないが、かけ離れたネオ人間がいるわけでもない。

 

他人とだって同じ部分違う部分掛けながら新しい地平を見る。あるいは掛けられる距離感を見極める。無理はしない。そもそも必要はないのだから。いつだってオプション、問うクイズ。

 

だからなんだって?自分のコンプレックスや嫌なところをひとつ剥がす話なのかもしれない。