言葉の文脈
言葉はそれ単体で文脈というかクオリアがある。
クオリアって、赤を赤だと思うとか牛って言われたらモーみたいななんか感覚知みたいなことを指すと思ったけど。
例えば、あるとき、かわいい女子がいたとして
「あーかわいいね」と言うことは、そこに咲いてる花を見て「花が咲いてるね」というのと同じことだ。
(私できるだけポジティブなことは伝えたい性格なのでかわいい人はかわいいと声を大にして言えるような姿勢でありたい人なんですけど(とりあえず姿勢(笑 )
という例文において、実はこんな感じのこと過去表現したことあるのですが、それはもう「ヤサ男」感というか「チャラ」感が、いや「石田純一」感が、出ちゃうんです。
あれあれ、そういうことを言いたかったわけじゃないのにな〜と思って。
私にしてみれば、AがAであるときにそれを声に出し「Aであること」を伝えるという構造だけの例えだったのだけど、どうやら単語そのものにニュアンスが、クオリアが、文脈が含まれているらしいのだ。
私はさっきも言ったようにその構造だけしか気にしていなかったので、べつにそれが花であろうが、道に落ちているう○こ、でも良かったのだ。極端に言って。
つまりこういうことだ。
「あーかわいいね」と言うことは、そこに落ちているうんこを見て「うんこが落ちてるね」というのと同じことだ。
どうだろう。
構造の例なので、私的には全く問題ないのだが、「えー!うんこに例えられた!」みたいな人がいてもおかしくない。
私にとっちゃ何に例えようがなんだっていいのだが(だって構造の話だから)、どうやらそうじゃないらしいということを知るきっかけとなった。
もしくは、いや構造の話だったら、例えばAという記号にすべきだったし、注釈をつけるべきだったかもしれないね。それじゃ面白くないけど…笑。
要は何を言いたいかというと、
私は構造の話をしているのに、それは言葉や単語がもつニュアンスやクオリアや文脈や性格がそれらを全く違うニュアンスで取られる可能性があるということだ。
確かに、女子を花に例えたら、咲くという花の持つ特性が笑顔を想起したり、緑の中で映える綺麗さを想起させるし、ポジティブだろう。(そのわかりやすいポジティブさゆえチャラさがMaxなんでしょうけど笑)
でもうんこに例えたら、価値がないだとかクサイだとか汚いだとかそういうイメージとともに相手に伝わるかもしれない。
構造的には一緒だけど。構造的には一緒なのに。(大事なことなので2回)
つまり、ちょっと本質的ではないところの言葉でもイメージを左右して人の意識のポジティブ、ネガティブを左右するということ。
もしくはそんなところでうんこなどという言葉を使ったらもう、例えどころじゃなく、「なんかこの人うんこって言ってるんですけどー!!」ってうんこしか相手に残らない気もする。語彙って大事だね笑。
という話。
ちなみに、付き合う人は(恋愛だけでなく)語彙によって同じ方向を見ているかどうかわかるのだとか。まぁあるよね、相手の使う語彙が気持ちいいとか。そういうこと、大事な気がします。