「人と人の間と書いて人間。出会う人ごとに自分が違っていたっていいんです。」
ちょっといろいろなことを書くかも。
初心に帰って、敬語をやめてみる。
先日、高校時代の友達4人と旅行に出かけた。
会話の内容ってほとんどなんか中身がなかった(笑)
あ、いや悪い意味じゃなくて。
大学の人とは喋らないようなことだっだ。
そもそも自分の立場が違ったりする。
大学では、あんまり(意味がわからんほどの)冗談は言ったりしない。
高校の間柄では、突拍子もないこともなんか良い感じで当てはまってくれる。
だから、戻ってきて大学のサークルに復帰したときすんごい違和感で自分を見失った。
自分がいる状況ごとに自分は違うのはわかっているんだけど・・・
あれ?
こういうときの俺ってどんなやつだっけ?
って思ってしまった。
したら、俺ってどんなんだっけ?
っていう自己崩壊。
自分がいる状況ごとに自分は違う
ということの意識のしすぎでも、自分というものを見失ってしまう。
この言葉は保険のようなものだ。
この言葉が第一にくると自分を見失ってしまう。
やっぱりまぁ(自分ってこういうキャラって思わず)自然に動ければいい。何にも考えず、やりたいようにやるのがキャラなのだ。
と言い聞かせるけど、うまくいかない。
本当に頭も回らなくて焦った。初めてだった。
「本当の自分ってなんだろう?」
っていうのと
「自分がいる状況ごとに自分は違う」
という2つのバランスを絶妙にとり続けることが大切なんだと思う。
んで話し変わって、高校時代に好きだった人がその中にいたんだけど
やっぱり好きな人は好きなままなんだと思った。
ただその反面、それでも相手は自分のことを好きにならないという現実を受け止めて生きていかないといけない。んだなと感じた。
これって表裏一体だな。
自分を(恋愛感情的に)好きではないってことがわかったもん、その人の話を聞いている限り。
それでも、この人を笑わせてあげたいなぁと思っておどけたりするもんなんですよね。
なんか、大げさに言えば、仮面を被って中身が剥がれてくるみたいな・・・。笑。諸刃だ。
そういう痛みを抱えて生きていくか、もうその人とは疎遠になるか。
そういう選択をみんなしてきてるのか。
だから、気まずいとか思うのか。
今、理解できました。
最初から、そこで関係を絶つなんてせっかく出会っているのにもったいないと思ってた。恋愛の話じゃなくてもいつかその人とつながっていたら何かあるかもしれない。ましてや、好きになった人だぜ。
好きのまんまでいいじゃん。
まぁ痛みに耐えられないときは疎遠になるんでしょう。
それもまったく否定するわけじゃない。
なるほどねー、20歳にしてこんなことをうんうんするなんて笑
高校生くらいで考えたかったわー。
良い経験です。