handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

Hara ni Ochiru

これも英訳しにくい言葉ですね。

先日腹落ちしたことがあったので書いておきます。

(就職を見事に決めた)のすけさんとダヘとアイデア会議(のようなもの)をしていたとき

僕は悩んでおりました。

STOMPでいいのかと。

俺のやりたいことって何だろう。

ってか俺ってなんなんだろう。云々かんぬん。

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

なんか、心のどっかでは人とつながりたい意識はあったし、そういう意味でこの企画でいいのかとか。

もっと、外から見たってわかるような企画の方がいいのかなとか。

これ自己満で終わるんじゃねーの?

結局企画の意味ってなんだろさ?

誰のために?何のためにやってんの?とか・・・・。

でもさ

結局はね

○○をやりたいと思う自分が自分であるわけで

○○をやりたいという自分からは逃げられないんです。

結局どんな選択をしても、自分がいるだけなんです。

そしてその選択をしてきたのが自分なのです。

先を見て「こうなりたい」なんてことより、今までの選択のほうがより自分を表しています。

根幹を見れば同じ。STOMPにしても、別の違う人とつながる企画(仮にA案としましょう)にしても例え自分で新たに始めずとも既存の団体に入ったとしても、俺がやる限り、それは俺のやり方であって俺らしいんです。

だから

STOMPでもA案でも同じ理由で俺は動くことでしょう。

(人を楽しませたいだったり新しい人と1つの目標を持ちたいとか)

だったら結局何やってもいいんです。

いかにメッセージを込められるか。

別に誰に褒められるために俺の人生あるわけじゃないんですよ。

(誰かが認めてくれればいいわけで)

やらなきゃいけないことなんてないんすよ。(りんくんのから又聞き)

STOMPだってまぁそこまで渇望しているかと言われればそうでもないんですよ。やらなくたって早稲田で就活に向けて平穏無事に暮らしていけるんですよ。

でも、それは簡単なんです。

そして、俺は少なくともそんな生活望んでいないんです。

だから、この心の向くほうに任せてみたいと思ったのです。

小野梓みたいな空間で、薄暗くして照明たいて音のリズムを繰り出したらそりゃあもう、俺のテンションは上がるし、観客から見てもかっこいいと思えるものになるのは間違いないんです。

そして、もう動くしかないんです。

行動から考えるほうにシフトしていきたいと思います。

下駄、WIF(仮)、STOMPに手を出しつつ並行して全てをやりきるキャパを見せないと3年生やってられんのですよ。

授業とか就職活動とかバイトとかで怯えてる場合じゃないんですよ。

かといって逃げないですよ。全部やるんです。全部。本だって読むし。商学部の読書室にこもるし。自己分析だってするんです。出席だってするんです。

4月病患者です。

解放だ。カイホウダ。

一回楽しいことやりましょうよ。自分から。

STOMP出演者。絶賛募集中

BROOMS