handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

concrete

きちんとしたことを書く。(とはいえふと今思いついたこと)

違いが価値を生むとか思想の違いの根底がどこにあるのか聞いていくのが好きだ。

なんでそこに至ったのか・・・潜って潜っていくのが結構好きだ。

根幹の価値観までたどり着くと人は千差万別。

それは殆どの場合その人の過去の体験が何かしらの影響を与えているのだと思う。

そして具体的な話が好きだ。

例えばどういうことなのか、実際には何があったのか、その時どう感じたのか、雰囲気は、

温度は、格好は・・・。

というかそういう肉付けをされていくと物語(物事)がどんどん、リアルさを帯びていって

その人の輪郭とか質感を知ることができるからだと思う。

これって、なんだろう・・・?

って考えた時、昨日ふと思いついた。

何かを描写するときに似ている。

絵を描くことに似ている。

例えば、象を描こうとして。

四角い躯体に足が四本つき、鼻がブオーって伸びている象を描いたとしよう。

イメージ

これって魅力あるかな?(笑)

(絵心がない!ってネタで盛り上がるなら楽しいけど)

じゃあこれに「質感」をプラスしていくとどうだろう。

毛はどうだとか、足の筋肉はどう付いているだとか、耳の厚さはとか

目の小ささはとか、シワはどんな風に走っているだとか・・・

だんだんこんなのに近づく。

まぁリアル。(笑)

(画像使用しちゃダメだったらご連絡ください・・!!)

というように、段々、輪郭がはっきりしてきて、はっきりしてくるほどに

自分との差を認識できるようになる。

え!シワってこんなのなの?私違うよ!とか

足の爪ってそう生えてるの?一緒だ!とか。

(それを一般的な「話」に置き換えて考えてみてほしい)

だから、ジブンゴト化ができるのかもしれない。

と、考えるとなんだかんだ人には興味がないのかもしれない・・・(笑)

(まぁおそらく誰しもそうだよね)

自分に寄せるために、自分の輪郭もはっきりさせるために、人と話すし、人の輪郭もはっきりさせていきたい

のだと思う。象のように。

その方が魅力的なのだ。

人の質感を知る。象のように。

それが、面白いと思うのだよね。

いつまでも

「四角い躯体に4本足に長い鼻」じゃあ、「そりゃそうだよね・・・」で終わってしまうから。

みんながなんとなく認識している(正確に言うとその質感は共有できてないのだけど)レベルでの

共有で終えてしまうから、なんとなーくな上っ面な会話で終わる。

質感をはっきりさせていく作業が、

絵を描くように、好きなのだなぁと思ったのでした。

はい。それだけ。(笑)

でも重要な示唆だ。

説明の上手い下手へも通じるかもしれないし。

ジブンゴト化への手段に繋がるかもしれないね。メモメモ。