handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

めもめも

自己はすでに実現している。

漁師になったほうがいい人が普通に社会で働く。

一部のすごい人が輝く。

それは結果論か?

芸術活動が仕事になったら好きではない。

いやでもそこはバランスだと思う。久石さんも書いてた。

結局は変わらないってことはそれを望んでいるから?

本当に?

それで終わりにしていいのか?

そんなことはないと思う。諦めさせる要因があるから挫けるんじゃないの?

でもそれでも諦めないヤツがいてそいつが一握りの成功をつかむの?

それは結果論じゃね?

やりがいありそうって選んだ仕事も結局は愚痴をこぼしちゃうような仕事になるの?

でも働く前になにが合ってるかわからないのも事実だもんなー。

無責任にやりたいことやれる社会ではダメなんだろうなー。

とりあえず、毎日愚痴をこぼすような仕事はしちゃいけない。

でもさ、諸外国が家族を大事にしているとか、休日は絶対取ります、みたいな情報が入るとうらやましいってかそっちが正しいんじゃないの?今の日本違うんじゃないのって思うのはきっと俺だけじゃないはず。

だから結局は心のどこかでそうしたいんじゃん。

なのになんでそうしない??

言い訳が先に浮かんでくるでしょ。

そういうモデルがないから??

どこかで違うと思いながら日々を消費するのか?

働くことが認められてるという価値のなかだから?

いや、じゃあ何が何でも諦めたくないくらいの感動とか動機づけをさせればいいのか。

やっぱりそれだと色んな人に色んなことを知らせるのが大事なのではないかと思う。

モデルを示すだったり、忘れられない感動だったり、

それって経験から生まれる?