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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

死、結婚

例えば、死ぬこと、結婚すること。

死ぬことは不測の事態だ。
結婚することはそうじゃない。多くの場合。

不測の事態にこそ備えておくことを誠実というのではないだろうか。

急な事態でも対応する。
香典を素早く準備する。

なるべくそうやって生きていきたい。

自分が誠実という気はないけれど、
誰かが大変なときに、不測の事態が起こった時、例えば自分のお金のなさ(そしてそれは無駄遣いからくる)によって、何かができない状況というのは出来る限り避けたい。
あくまでポリシーとして。

なんていうか「今」というのは嫌が応にも「今までの結果」である。

なんというか、人というものは、この一瞬に現れるのではなく、「今までの結果」としての「今」に現れるのではと思う。

だから、例えば今まで無駄遣いしてたら、大事な時(そしてそれは刹那にやってくる)に、お金を差し出せない。

貯金そのものが偉くはないけど、それで対応でき、解決できる物事が増えるとすれば、それは素敵だと思う。
どちらにせよ、ここぞの時に、ここぞの行動ができるような決断や環境で在る状況にいられるっていうのが回り回って1番良いと思う。

仕事が忙しいとか、お金がないとか、結局全部それ選んだの自分だし、その結果が今の自分なんだからさ。

そういうのは"結果的に"言い訳にはならないんだわ。

そういう言い訳はできる限りしたくなく、
言い訳できない状況に居たい。

例えば、お金がない、を「あんまり好きじゃないから価値を見出せないから参加したくない」って意味で使うなら、「いやー、好きじゃないわー」って断ったほうが気持ちいいと思うんだよなぁ。双方。

在り方やスタイルの話。
どのように在るかも自分の一部。
それを見れる人はごくわずかだと思うけど。