handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

本と人と親とか

本のある環境

という記事を読みまして。

そうだなぁと思う。

本は確実に世界を広げてくれるものだ。

いろんなことを知れる。

でもでも、この環境のような話をすると自分はちょっと違ったんだなと感じる。

親は本棚なんて全く持たないし、兄弟だってほとんどそう。

なぜか俺が本を比較的たくさん持っている。

俺だけ違うことは結構ある。

視力とかもそうなんだけど。

血液型もそうなんだけど。

まぁ気にしてないからなんでもいいんだけど。

よくもまぁ、勉強したなと思った。

もちろんもっと違う環境でもっともっと勉強してる人はたくさんいるだろうから全く自分が凄いとか言うつもりはないのだけど。

学校もどこに行けとか言われないし、就活についても完全に疎い、と思う。

こう生きろとも言われることがない。

幼少期に嘘をつくなと他人に迷惑かけるなと2つだけ言われ続けた。

それだけだと思う。

だから(ある意味頼れなくて)自分で答えを探し続けて、自分でそこへ辿り着くという作業を幾度となくしてきた。

そんなんだから、環境じゃなく(先入観がある程度なく)、ある程度人にはどんな悩みが浮かんできているのか助力できる部分があるんじゃないかと思う。

まぁ大体、自分がつらいときはそんなことを糧にして頑張るのだけどね。

最近想うことは、例え今の俺のような境遇じゃない人でもそれはその人なりに悩むステージがあってきっと悩んでいるだろうということだ。

例えば、うちの親は何にも言ってこなかったて言えば、うちはなんでもかんでも厳しくてさーなんて逆に考えてる人がいるだろう。

毎日生きてることに必死で働かないといけないと悩むひとがいれば、日々平和でそつなく暮らせるのだけどやりたいことってなんだろうと日々悩み続ける人もいるだろう。

どっちがえらいとかじゃなくて、

例えば、それで後者が悩み続けた結果自殺なんてしてしまったら、贅沢な悩みで死にやがってとか思うのか?

それ相応に後者にとっては大きな悩みなんだろうと思う。

前者は、受験期みたいな禁欲が反動を生むみたいなものでやりたいことがあるんだとは言えど、いざ本当に自由になったらやらないというものかもしれない。

もちろん、環境とか価値観が今の考えの枠を超えさせてない場合もある。

今日も生きるのに大変な人が、自己実現とかという枠では考えられないだろう。いや、考える手段、考えるという行為自体生まれないかもしれない。

こんな風に人それぞれのステージがあるんだなと思う。

でも世界規模で言えたことじゃないな。

かなり安全で平和な国に生まれている以上、なんにも言えない。

というわけで、

きっと悩みはきっと誰でもきっと尽きないものなのだ。と。

そして今日も本を読んでまた自分の答えを探して、創って、壊されて、って行為を続けていくのだ。と。