handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

星野源さんのアイデア

カラオケで歌っていたら星野源さん(以下源さん)のアイデアの歌詞にえらく感銘を受けてしまったので書く。

 

今まで源さんの歌詞についてあんまり考えたことなかったのですが。

とりあえず器用な人なんだな〜という印象だった。しかしアイデアの歌詞を見てから器用というのもそうなんだけど、それと同じくらいに曲にメッセージを込めている(わかりやすい言葉を使えば熱い)人なのだと感じました。

 

予め言うけど、これは私の勝手な解釈なので、この歌詞はこうだよ、と言われても全部知らんがな、です。

 

しかしながら曲とかの解釈を勝手にさせてしまう=名作と思っている。(宮崎駿しかり浦沢直樹しかり)

 

 

<アイデア/星野源>

まずこの曲自体が人生を音楽に見立てた曲なのですよね。

 

似たような日常を音楽に例える訳です。

 

おはよう世の中(すべての人に向けて)

(生活するにおいて必ず目にする)湯気には生活のメロディ

 

生活音が全てモノラルのメロディというのですが、モノラルのメロディというのは、ステレオに対してだと思うので片方なんですよね。何かが欠けているんです。それは生活音に対しての実際の生活なのかもしれないし、それを楽しむ心なのかもしれないし、はたまた別の音なのかもしれない、とにかくモノラルという何かが不揃いな感覚。

 

涙こぼれる音は咲いた花がはじく雨音

ということで、前を受けたとするとモノラルというのは音に対する解釈なのかもしれません。

ざっくりいって良い面悪い面みたいなのがあって音はステレオになる的な。そうして哀しみから青空を導くわけです。

 

つづく日々の道の先を塞ぐ影

その日常を困難にさせる待ち受ける何かですし、あるいは病気ですし、あるいは仕事ですし、あるいは事故のようなものに対して、アイデア雨に唄えば的な発想でもって全て越えて響いてほしいという話。

 

この全て越えて響け、というのが個人的にめちゃ大事で。

そんな雨に歌えば、アイデアひとつで物事が明るくなったりなんかしないんですよ。それを分かった上で、「全て」越えてほしいという源さんの想いが詰まってるんだなぁと思うのです。

で、響け、と表現しているのはややポジティブな意味を含めながら悪い意味も良い意味も混ざりあってハーモニーとして成り立ってて欲しいということなんだなと私は受け取りました。

 

これがサビなので曲中は源さんのこの想いが一貫しています。全て越えて響け。それがアイデア!などと野暮なことは言わない。どれだけどんな側面を見たってプラスに思えないことはたくさんあるよ。でも全て越えて響いてほしいのですよ。

 

んで2番の

おはよう真夜中

から対象が世の中から真夜中になっているわけです。

世の中と真夜中(韻を踏みながら)の対比はなんですか。暗さです。

 

1番はどちらかというと一般的な人に向けて人生という音楽の話をしていて、2番はそれより暗い、もしかしたら辛い、もしかしたら苦しい、もしかしたらもがいている人に向けて書いたのかもと思いました。曲の雰囲気も変わります。

 

虚しさとのダンスフロア

笑顔の裏側の景色

一人で泣く声

喉の下の叫び声

すべては笑われる景色

 

笑われるんですよ。わかりますか。そういう現実をまず一回受け入れる。このどん底

 

からのリズムがアップテンポになりつつの

「生きてただ生きていて」ですよ。

死のうと思ってる人に歌ってるじゃないですか。

辛くて辛くてでも笑われてる、そんな人に対してどん底でも「ただ生きて」から入るわけです。

 

んでそれを踏まれつぶれた花に例えるのです。

あなたは踏まれ潰れているけど花だぞ。

にこやかに笑え、中指を立てろ。(立てろとまではいってません)笑わせたままにするな、そんな奴らに負けるな。というのが彼らしく伝わってきます。

 

サビは同じくです。

これでもうひとつ下の階層で苦しんでいる人にも全て越えて響いてほしいと祈ります。

 

んで、

闇の中から歌が聞こえた

あなたの胸から刻む鼓動は一つの歌だ

胸に手を置けばそこで鳴ってる

 

というのは、今まで生活音とか雨の音、泣く声とかとか全てをハーモニーにしてという話をしたのですが、

 

ここで、闇の中というのはやはりどん底とかを指すかと思うのですが、ここで1番近い自分の胸の鼓動の音の話をするわけです。

これは続くんです。生きている限り。

今までいっていたつづく日々とは心臓の音がつづく日々なのかもしれない、となるわけです。

もちろんそれは日常かもしれないし非日常かもしれない、でもとにかく(心臓が)つづく日々なのです。

 

この心臓音も一つの音だとした時に

これと一緒にハーモニーを奏でてほしいわけです。響いてほしい訳です。つまり生きてほしい訳です。君と。ここで君がでます。

別に恋人に限った話ではないと思いますが、この人生という音楽を奏でる人(君)と音が止まるまで(人生が終わるまで)歌いたいわけです。

 

んでもいっかいサビ

大事なことは3回くらい言います。

書きながら気づきましたが3回繰り返しながら

対象がちょっとずつ違うんですね。

大衆向け、もいっこ下層の人、君、それぞれに言ってたわけです。

 

塞ぐ影にアイデア

(例えば)雨の音で歌を歌うような!

全て越えて響いてほしい訳です。

 

んでそれぞれがつづく日々(心臓がつづく日々、もしくは続いていく日常)を奏でる人(毎日生きてる人、心臓が動いている人)へ

つまり全部をまるっとオール包み込んで全対象に言う訳です。

 

すべて越えて響け!!!!

 

こんな小気味良い音楽に、源さんはなんてロジックと思いを詰めた歌詞を書くのでしょう。

 

と私はカラオケで歌詞を見ながら目が潤んでしまいましたとさ。

 

 

んなことぁわかってる、

でもすべて越えて響いてほしいな〜という源さんの想い受け取った〜。

 

音楽とはかくも素晴らしい。

 

そして源さんのメロディ、編成もさることながらこの実力を知った時、さらっとめちゃめちゃ熱いことをぶつけてくる姿勢に

「かっこいいいいいいいいいい!」とそのかっこよさを初めて認識できたのでした。

 

星野源、あっぱれ。