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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

人間らしさ

私が株式どっぷりの世界からみなさんのいる世界へ来て話をすると

人間らしさ、とかってみんな言うけど人間らしさってみんな知ってるのかしら。

 

株式どっぷりの世界を人間らしくない、と認識しているのでしょうか。

まぁそうなんでしょうけど。

 

モニターを見て座りっぱなしで上がり下がりする株価を見ているのは人間らしくない。

 

そういうことだと思うのですが。

なんていうか株価がランダムに動いてそれを当てるんだったらアホみたいだし、人間らしくないけど、そこに人間がいること、意志があることを感じるからそういう意味では人間らしくないとは個人的には思いません。

 

誰とも話をしないことが人間らしくない、といえばそうかもしれません。ただ私はどこかで書いたけど私も人間の本質はコミュニケーションだと思います。コミュニケーションが人間を人間たらしめているといってもいいかもしれません。けど、書いたようにモニターの奥に人間は感じるし、それ以前に来ている服や家具や物がある時点でコミュニケーションの中で生きてると思うのです。そこにギターがあるときそのギターは弾かれるために存在しているのであってそのギターを作った人から弾く人へのいわばコミニケーションの産物だから。

だから人と話すとか話さないとかコミニケーションの濃淡はあるだろうけどそこにコミニケーションが存在しているのであんまり非人間的だとはこれも思わない。

 

 

で話は戻りますが人間らしいと言う言葉はいささか大きすぎるように思います。

みんなそれらを人間だったら当然の要素として思わされているのではないでしょうか。

 

人間らしいかどうかはわからないしそんな大きいテーマを扱う気もないですが

自分らしいというか、自分が何によって喜ばせてあげられるか楽しませてあげられるかを知っている事は結構大事だと思います。

どうも、人間らしいと言う言葉はその自分にとってのらしさを考えることよりも、人間らしさはこういうものだろうと思わされていることで、本当に自分が大事にしたいものまで考えが届いてないんじゃないかと思うところもあります。

 

例えば、人によっては楽器を弾くとか、人によってはご飯を食べるとか、人によってはスポーツをするとか、人によっては好きな服を着るとか、人によっては化粧をするとか、人によっては会話をするとか、人によっては寝るとか、人によっては旅行するとか、人によっては恋人だとか、人によってはその全部だとか、

こんだけあげても人それぞれなわけで、どれが好きで、もしくは好きな自分が好きで、大事にしたいか、いろんな種類があります。

 

人間らしさっていうのはこれらの上をさらっていく感じだと思うのです。それなりにあるから本当に大事なのがなんなのかよくわからない。

 

でも全部を潰していったとき、よくわかります。

何が外せないのか。外したくないのか。それを好きじゃない自分を好きじゃなくなるのか。

 

特に大事じゃないことはなんなのか。

 

人間らしいという言葉を使う前に、その人をつくる要素を見てみたい。

 

人間らしく戻って来たね、とはまとめません。

何が見えた?何が大事だった?君はどういう人間だった?

 

人間らしさなどおそらく存在しません。

その人がそこに立ち現れるだけです。

 

だからまぁ、山奥で山の中でひとりで暮らしてたら人間らしくはないな…と思いますが、それ以外は人間らしいし、それ以上に細かいことによって、その人が見えてくるんだよなーと。

 

 

まぁこんなこと一から考えたり、何気ない言葉に反応するややこしさもうまく付き合わなきゃいけないと思います、自分。笑