暗殺教室の弱者戦略と作品に触れること
※ネタ(セリフ)バレます。
今週のジャンプを読んだのですが(愛読者)
暗殺教室が素晴らしかったのでちょと書かせてください。
知ってる人向けに書くのであまり細かい説明はしませんが、このあたりのセリフにじーんときてしまった。
理不尽な事が世の中にあるのは当たり前
それを恨んだり諦めているヒマがあったら……楽しんで理不尽と戦おう。
これって、殺せんせーというよりも、松井さんの言葉のように思えて。
昔、SWITCHインタビュー 達人達(たち) - NHKというインタビュー番組で松井優征さんとデザイナーの佐藤オオキさんが対談していて、松井さんが「絵が下手ですから、完全に弱者戦略で漫画描いてます」とおっしゃっていて、(ユーチューブに転がってるっぽいので見たら良いかと)
絵の上手い下手だけでなく、構成やコマ割りなどなどで差別化を図るという松井さんがとにかくなんだか印象に残っていて。
それでもう最終回まで2話というところで、こういうメッセージをセリフに出されるという意図に松井さんとしてのメッセージがあるような気がして心にぐさささっときたんですね。
何が意図してあるかわかる作品、経験や言葉が自分の中で繋がる作品、そういう作者が投げたボールを受け取れたかも、と思える時はよくわからないけれど、結構嬉しくなる。
日本アカデミー賞での岡田准一さんも、(意訳ですが)「演技というものを初めはわからなかったけど、なぜこのシーンを撮るのか、このセリフで、この演出なのか、ということがわかり始めてから一気に楽しくなりました」的なことを言っていたけれど、それに近いことだと思う。
なぜだろう、作品に対する意図を拾えるととてもドーパミンがでる感覚がある。
ほら、もののけ姫でも、アシタカはまだ若い象徴として帯の位置が高いんだとかさ。
いや、知ったらなんなの?って言われちゃあおしまいなんだけど、その細かなところで世界観を作る手法や、細かいところまで息の届いた配慮に、人の存在を感じるのかもしれません。
松井さんや岡田さんや宮崎駿さんと会話した気分になるのかもしれません。単純に会話が楽しいのかもしれません。
選ぶ言葉も秀逸なのですが、作品を通じたコミュニケーションを感じて、言葉だけで伝わるというのは難しく、全力を行き届いた作品というコミュニケーション媒体もあるよなぁと思ったのでした。(コミュニケーション媒体とかいうと冷めた感じしますね笑)
理不尽な事が世の中にあるのは当たり前
それを恨んだり諦めているヒマがあったら……楽しんで理不尽と戦おう。