学生のころは、「うわー仕事できる〜」とかを褒め言葉に使ったり、「仕事ができる」ということに何も考えず憧れることも多かったろうに思う。
「仕事ができる」ていうことに漫然と「いいこと」感があふれ、それぞれが思う「仕事ができる」という像に向かって、そうならなくてはならない雰囲気を感じることもある。
それでは、仕事ができるってなによと。
持論を話そう。
多くの日本の組織において「仕事ができる」というのは、あっちゃっこっちゃの関係部署に、これどうですかね?とか、あっちではこんなんになってます、とか、日程が…とか、そういう部署間の調整を指しているのが6割〜7割ではないかと思う。
つまるところ、組織の中で評価される能力。
(このことをなんかかっこよく「巻き込む能力」なんて言ったりする。)
イノベーターを集めた講演会みたいなのに出会ったので思ったのだけど、例えばそういう意味ではそこで一番仕事できているのは、スピーカーを集め、会場を手配し、タイムスケジュールを調整した主催団体のことを指すのだろう。
社会問題を解決しようとするイノベーター(と呼ばれる人たち)ではなく。
思えばイノベーター、起業家に上記のような「仕事ができる」ってイメージはあんまりないかも笑。
また違う種類の、突破力というか、理念とかカリスマ性など違う意味での「巻き込む能力」なのだ。調整することによって巻き込むのではなく、突っ走ることで巻き込む能力。文字通り、フォレストガンプみたいな。
イノベーターって「仕事できる」人じゃなくて、「やっちゃう」人なのではないかと。
ともすると、自分がいいなぁと思えるのは、調整することではなく、突破することだ。
もちろん、突破するためにいろいろ調整すべきことはあるんだけれど、そういう些末な「仕事ができる」っていう評価はどうでもよくて
突破することにしか喜びはないのだろうと思う。
私は「仕事できないかも」とか悩む前に
そもそも「仕事ができる」って、何を指し、それって1つの定義しかないのかしら?と考えてみよう。