なんで?どうして?
なんで、どうして、で人を理解する。
なんでそれをやろうと思ったのか。
どうしてそれをやるのか。
それをやったらなんの意味があるのか。
逆に言えば、人に理解されるために必要な言葉。
なんで?どうして?
◯◯をやろうと思うんだ。
へぇ〜、なんで?
へぇ〜、どうして?
◯◯をやろうと思うんだ。
お、面白そうじゃん!
なんか手伝うよ!
同じことを発しても
なんで?どうして?が先に来る人と
もうコミットしちゃうよ感がある人とがいる。
(もちろん興味ない反応の人もそれ以上にいる)
行動という基準をもって信頼できるのは
後者だと思っている。
人を説得させるために
なんで、どうして、が必要な世の中。
逆の流れにできないかな。
つまり
もうゴールは見えていて、
なんでを相手に想像させること。
なんでを想像させたら
もうそれはいちファンってことだ。
なんで、を語るのは自分ではなく
相手の頭の中に語らせるのだ。
語るものではなく、
いろいろなフックをもって、
想像させること。
「この前マラソンやったんだー!」
A
「へー、なんでやったの?」
「へー、タイムは?」
B
「へー、よく走ったね!」
「へー、楽しかった?」
前者と後者は多分、世界の捉え方が違うのだろうと思う。僕は後者側でありたい。
この感覚わかるでしょうか。
なんで?と聞くよりも、チャレンジを応援するように。
結果を測るよりも、満足を感じるように。
生きる上で、優先なのは
動機か?それともチャレンジか?
生きる上で、優先なのは
結果か?それとも満足か?
本当に称えるべきは、
本当に愛すべきはどっちだ。