handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

なんで?どうして?

なんで、どうして、で人を理解する。

なんでそれをやろうと思ったのか。
どうしてそれをやるのか。
それをやったらなんの意味があるのか。

逆に言えば、人に理解されるために必要な言葉。
なんで?どうして?
◯◯をやろうと思うんだ。
へぇ〜、なんで?
へぇ〜、どうして?

◯◯をやろうと思うんだ。
お、面白そうじゃん!
なんか手伝うよ!

同じことを発しても
なんで?どうして?が先に来る人と
もうコミットしちゃうよ感がある人とがいる。
(もちろん興味ない反応の人もそれ以上にいる)

行動という基準をもって信頼できるのは
後者だと思っている。

人を説得させるために
なんで、どうして、が必要な世の中。

逆の流れにできないかな。

つまり
もうゴールは見えていて、
なんでを相手に想像させること。

なんでを想像させたら
もうそれはいちファンってことだ。

なんで、を語るのは自分ではなく
相手の頭の中に語らせるのだ。
語るものではなく、
いろいろなフックをもって、
想像させること。






「この前マラソンやったんだー!」

A
「へー、なんでやったの?」
「へー、タイムは?」

B
「へー、よく走ったね!」
「へー、楽しかった?」

前者と後者は多分、世界の捉え方が違うのだろうと思う。僕は後者側でありたい。
この感覚わかるでしょうか。


なんで?と聞くよりも、チャレンジを応援するように。
結果を測るよりも、満足を感じるように。


生きる上で、優先なのは
動機か?それともチャレンジか?

生きる上で、優先なのは
結果か?それとも満足か?

本当に称えるべきは、
本当に愛すべきはどっちだ。