だなんていうことがよくあると言われるけれど。
どっちかといえば逆だ。
学生時代あんなに輝いてた、尖ってたと思えてたことって今振り返って見て、やっぱり尖っているのだろうか。輝くべきことだったのだろうか。
サークルを立ち上げたり、代表をやったり、バカなことしたり、100km歩いたり。(あくまで例ですよ)
それって、輝かしいことというよりも、もしかしたら、学生だからできたことなのじゃないかと思う。
例えば大学名の看板があったから。
例えば時間がたっぷりあったから。
例えばすでに共通の認識の仲間がいたから。
大学、もしくは、高校、中学、といった、中庭で遊んでいただけじゃないのだろうか。
評価してくれる人も箱庭の周りにいる人。
それって、本当に輝いていた、とか尖ってたって言えるのだろうか。
もちろん、そういうくくりじゃなくて、例えば全国模試トップテンとかに入ってきてた人には、日本を背負うようなこと、やってくれたらいいなぁと個人的には思うけど。他力本願的に。
まぁ別に、いわゆる普通の企業に勤めずに、ぶっ飛んだことやる人は、学生時代うんぬん関係なくやっちゃいますけどね。
だから、なんか、学生時代あんなに輝いてたのにみんなどうしちゃったんだぜ、へへいへい!
というのに対して、いやそれなりにみんな大変で、結婚や、子育てや、仕事、いろいろなものに追われている。
だから、そもそも果たしていつまでも(従来考えてた、あるいは憧れていた)尖っていることに、輝くことに意味があるのだろうか。
それって理想の姿なんだろうか。
それぞれが尊いと思います。
ぶっ飛んでるから素晴らしいとも思わないし、平凡だからつまらないとも思わないし。
ただ、やりたいことをやらずにいるのはつまらないことだと思う。
そういう大人はつまらない、大人なんじゃろな。
そこまで来ちゃったら、私が批判(いやdis?)してあげます。きちんと。笑。