handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

学生時代はあんなに輝いていたのに

学生時代にあんなに輝いていたのに、今やただの社会人。おっさんだ。


だなんていうことがよくあると言われるけれど。


どっちかといえば逆だ。

学生時代あんなに輝いてた、尖ってたと思えてたことって今振り返って見て、やっぱり尖っているのだろうか。輝くべきことだったのだろうか。


サークルを立ち上げたり、代表をやったり、バカなことしたり、100km歩いたり。(あくまで例ですよ)

それって、輝かしいことというよりも、もしかしたら、学生だからできたことなのじゃないかと思う。

例えば大学名の看板があったから。
例えば時間がたっぷりあったから。
例えばすでに共通の認識の仲間がいたから。

大学、もしくは、高校、中学、といった、中庭で遊んでいただけじゃないのだろうか。

評価してくれる人も箱庭の周りにいる人。


それって、本当に輝いていた、とか尖ってたって言えるのだろうか。



もちろん、そういうくくりじゃなくて、例えば全国模試トップテンとかに入ってきてた人には、日本を背負うようなこと、やってくれたらいいなぁと個人的には思うけど。他力本願的に。



まぁ別に、いわゆる普通の企業に勤めずに、ぶっ飛んだことやる人は、学生時代うんぬん関係なくやっちゃいますけどね。



だから、なんか、学生時代あんなに輝いてたのにみんなどうしちゃったんだぜ、へへいへい!


というのに対して、いやそれなりにみんな大変で、結婚や、子育てや、仕事、いろいろなものに追われている。


だから、そもそも果たしていつまでも(従来考えてた、あるいは憧れていた)尖っていることに、輝くことに意味があるのだろうか。
それって理想の姿なんだろうか。



それぞれが尊いと思います。
ぶっ飛んでるから素晴らしいとも思わないし、平凡だからつまらないとも思わないし。









ただ、やりたいことをやらずにいるのはつまらないことだと思う。



そういう大人はつまらない、大人なんじゃろな。


そこまで来ちゃったら、私が批判(いやdis?)してあげます。きちんと。笑。