handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

丁寧に生きること

誰かの受け売りではないんですが、ここ数日丁寧に生きていきたい、ってことが合点しまして。

丁寧に生きるとはどういうことかと言いますと、無い物ねだりをせずに、自分の目の前にあること、手を伸ばせば届く範囲にあることをしっかり処理、育て、取り組み、磨く、吸収する、とかそういうこと。

もちろんひとりの時間だってたくさんあるのだし、昔は何にもない日が今日私は何もできてない、誰とも会ってないっていうのが自分が生きている上で進んでる気が全くしなくて、不完全燃焼感があったのですが、もっと丁寧に見ればやることはたくさんあるし、やるべきこともたくさんある、誰かを気遣ったりだってできる、とにかくいろいろあるんだなぁと思ったわけです。

何にもないなぁ…ってテレビをみてても、これはどこに面白さがあるんだろうとか最近の流れってこうだよな、とか考えるときちんとインプットのような気もしますし、

借りた映画を観たりするだけでも、いろんなことを感じ、考えながら見るわけで、それが人と見れないからって何も見なかったのとは違うわけで。

ミスチルのライブのDVDを見るのもPerfumeのDVDを見るのも(それを貸してくれる人がいるのがありがたいのですし)全然普通に良い休日だなぁと。休日ってそういうもんだよなぁっと。(あれ、社会の型にハマってる?(笑))

ギターを弾くのもそう。ちょっとずつちょっとずつなんだけど、3年くらいでようやく少し楽しめる範囲がまたちょっと広がった感じするし。カラオケで2時間こもって歌ったりジャンジャカ鳴らしたり。

株の本だって2時間図書館にこもって読めたりここ1年くらいかけて(ようやく)10冊くらい読んで噛み砕けてきたし。

すぐにできるようになることはきっとすぐに必要になくなる。

長い時間かけて長い時間で身につけたことこそ一生役に立ったりする。

だからこの1日が予定がないなー!つってつまらないなー!彼女いないなー!誰か遊んでくれないかなー!とか言ってないで、やるべきことととかやりたかったこととか目の前で手の届く範囲ででも丁寧に見るとやることがたくさんある。

確かにひとそれぞれ人生における優先順位は異なり、例えば恋人がいないことで人生最悪ってこともあるかもしれないけれど、だからってその他以外が全く意味のないことかというとそんなことはないわけです。

(むしろそういう時に悪あがきじゃなく、きちんと行動できるかが人としての分かれ目ポイントであるような気もする)

丁寧に。もう死ぬことを意識して。会社辞めることを意識して。ひとつずつ。丁寧にやればいろんな質が上がるよう。人間関係も。仕事も。いろんなこともきっと。