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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

妄想すること

妄想って字がすでになんだか卑猥ですね。

 

はい、昨日は海辺でざざーんっとコンビニによくあるこれどこのOLが読むんだ・・・って自己啓発みたいな本をお供にぼーっとしてたわけですけど。

 

その本からもなるほどー、と思えることがあったので実践してみることに。

いや、どこまで本にあったか忘れたけど、もう自分で昇華しているのかもしれないけど。

まぁともかく思考は現実化するっていうお話で。

 

恋人がいないなら、それはあなたが「うまくいかない」ことを潜在意識で考えているのです!みたいな感じなんだけど。(すでにもう怪しいね。これあれだね、失恋した人はきっと宗教入りやすくなるね、うん。)

 

すげーうさんくさく書くと恋人がいなくても、恋人がいるときと同じような笑顔で、過ごしてみましょう的な。そうしたら、あっちから現実がやってきますよ、やっほい、みたいな。(すげーうさんくさいですね)

 

ほんとはもっとラブリーな口調で、ラブリーなイラストがある、どこのOLが買うの?って本なんだけど。

 

まぁでも、これってなにげに一理あるかもな・・・と思ったのです。

 

大体今までの私の思考回路は、何かがあったとき、失恋したときも、片思いの時も、あぁこのタイミングにあの人がいたらどんなにか楽しくて、どんなにか幸せだろう!と思うのだけど、その直後には、でもいないんだよなぁ、これは叶わぬ望みだ、どうしたらいいんだろう(絶望)・・・、ひとりで生きていくんだ、うん。私はわたしで楽しく生きなきゃ・・・ってなるパターンが多いし、誰に恋焦がれている時でも、それが叶わない方向の妄想をして、だめだったときの予防線を張っているパターンが本当に多い。ダメだったときに傷つかないために、自分で自分を馬鹿らしく思わないようにするために、自分を見失った自分を笑う自分から隠れるように。

 

だからきっと、本心(ここで言う潜在意識?)では、それが叶わないこと(こそ)がきっと現実だと思う節があるのですね。きっと。だからそこまでの妄想をしないといけないと思っているし、そうしないと地に足がついてないと思っているのです。

 

でも確かに・・・。それはそんなこと思うのもったいないなーと思ったのです。なので、妄想の範囲を限定してみることを考えたのです・・・!!(なにやってんだ)

 

今までの妄想パターンを書きますね。(ますますこのエントリーは怪しくなっていきますね)

1.現実のきっかけを見る、感じる

例:桜が綺麗に咲いているとか、面白いイベントがやっているとか。

2.感情が動く

例:あーあの人に知らせたい!、これはあの人といったら楽しかろう・・・!

3.現実と比べる

例:いや恋人がいる人だしな・・・連絡するのも憚られるわ。これ、連絡しちゃダメなやつだよなぁ・・・。どうせ私には興味ないな・・・。

4.落ち込む

例:なんで私がそこまで考えなきゃいかんのだ・・・。私は結局誰からも好かれていない・・・頑張るしかない・・・。あぁ誰か愛してくれよ・・・!

 

とまぁ大体恋愛中なんてこんなもんですよね。

 

 

 

 

 

これを上記2までしか考えないのです。(どーん)

 

 

 

2.感情が動く

あーこれあの人といったら楽しいだろうな。(あの人ととはならずとも)恋人とこんなところいったら楽しいだろうなぁ。旅行したいなぁ。出かけたらこんな気分だろうか。

 

 

もあもあもあ~、

 

 

 

 

 

 

 

はい、幸せでした。ごちそうさま。

 

 

 

みたいな。(何言っているか自分でもわかりません)

ではその今自分が羨ましがった瞬間、その時満たされていたらどんな感情になるかを想像するのですね。

 

 

それで満たされる。(こいつ、やばいな・・・とお思いでしょう!私もだ!)

 

あぁ、いたらいいなぁ~という感情は、いたらこんな感じだろうなぁと妄想してその幸福感で現実を生きてる・・・というかなんというか。悲観的になるまで考えずにあぁそれは楽しいだろうなぁ、と、楽しいことを考えているのが楽しい(出典:さんまさん)みたいなそんな気になってくるのです。

ネガティブを原料としてないから、明るいし。恋人がいる気分というか満たされている気で生きていける気がする(といってもこれやってみて1日目だから躁病的な実感しか感じてないけど)。満たされてないことを嘆きながら生きるよりも、満たされてる(気がする!)という心持ちで生きてたほうがきっと顔(とか雰囲気)とかにも出ると思うのよね。それはいつかなにかを起こすかもしれぬし。

 

何かに絶望した時は、それが手に入った未来とその感情を想像(妄想)することで結構タフになれるかも・・・と思ったのでした。イメージ出来ないんだったら無理にしなくてもいいけど。現実に帰ってくる必要はないんです。(というと素晴らしき現実逃避!みたいだよね)

 

でも、これを聞こえよく言えば、スポーツ選手のイメトレと似てたりするのか・・・。とも思ったりもする。人をどうこうしようとかっていうのではなくてあくまで自分の気持ちとか捉え方ベースで考えるだけ。

 

イチローがヒットをイメージするように。

本田がフリーキックの軌道をイメージするように。

(このブログの内容とこの2文の月とスッポンさがハンパない)

 

多分、恋人とかそんなもの以外にも同じくだと思う。それをどれだけ心底考えられているかイメージ出来ているかって結構大事だと思う。

 

例えば私も紅白歌合戦にいつか出たいとか考えている、とか馬鹿げたことをいうわけだけど、確かに、とか言いながら紅白に出るイメージもててなかったって、思うわけであります。(真面目な顔して何いってんの?って顔をするな・・・そこ!)

 

紅白歌合戦に出たらどんな衣装かとか曲調は司会は舞台の色はお客さんはそしてなにより私の感情は、そこで何を思うのか、それって楽しいの?とか全然考えてなかったなーって。それがいかに鮮明に、かつ楽しく、望むべき未来として描けているか、がそれがリアルになるかどうかの違いなんじゃなかろうか。未来から今の自分を引っ張ってもらうイメージ。

だったら恋人も恋人がいない未来の自分に引っ張ってもらうより、恋人のいる未来の自分に引っ張ってもらったほうがいいでしょ、みたいな。(いや恋人がいる=いい人生ではないよ。全くそうではないよ。あくまで心から愛せる人とかそんな意味よ)

 

まぁ特に恋人がいないわけですが、あぁこんな時にいてくれたらなぁ・・・っていろんな時に、ふとした時にみなさんよく思うじゃないですか(それで絶望するじゃないですか)、その時に冷静に「いたらどうなるんだよ?」って妄想するのです。んであーだこーだ考えて、あ、そりゃ幸せだわ。って思って(イメージトレーニング?)おしまい。(もちろんそんな風に考えて、あ、ここでいてもいなくてもあまり変わらないな・・・って思うこともあるだろうさね。恋焦がれている自分像に酔っているだけだねそんなときはね。)

イメージはそこまでで十分ですね。そこだけでも少し幸せになるよ?あれ?私だけ?

 

そゆこと考えてたら、いつか紅白に出れそうな気もしますよ。大事なのは、その時の自分の感情も妄想すること。どうせ無理だ・・・現実は・・・とか妄想のくせに現実と結びつけようとしないこと。

 

最悪、恋人とかイメージ出来ない時、忘れられない人のイメージばっかり浮かぶときは最後の手段「人の形した光」としてイメージします。(アホ

 

この「人の形した光」が心を満たす存在なのだ・・・!とか考えると別に誰とは想像しなくていいので便利です。要はきっと忘れられない人を「抽象化」ができるのだと思う。「その人」じゃなくて「そういう部分を持っている(別のどこかの)人」みたいな。

 

このブログをきっとある側面からみると現実逃避した(そして帰ってこれない)やばい奴だなぁと思う。でも、現実がすぐそうなるという意味ではなくて、そういうもんをエネルギーにして現実を変えていくって方向なんだよなぁと思う。病は気からというしさ。(なんか違う?)

 

イチローがヒットをイメージするように、良い人生を送った気になって生きてれば良い人生がやってくんじゃねーの、ってね。

(なんかスポーツ系の喩えをだすとすべてが爽やかに終われますね)

 

ということを思ったのでした。

もう、かっこ悪さから逃げるのはやめに致します。

 

飛び込めばいいのです。

 

なんかミスチルの歌で、いいイメージをもってみたいな、その壁を超えるイメージで、みたいな歌詞なかったっけ・・・?忘れちった。まぁそんな感じで生きていこうかな、と思ったのでした。

 

とか言って2日後くらいにくたばってたら面白いですね。

 

書きながら思ったけど

楽しいことを考えるのが楽しい。そういうことのような気がします。いちいち現実の予防線を張らなくていいんだ。素直に生きよう・・・。

 

という25歳 梅雨。

 

 

 

 

なんじゃこら。