handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

「見守る」ということは優しくない。

母は先週の火曜日に無事退院した。

摘出したものの検査にまだかかるため
どうだったかとは一概には言えないけど。

ひとまず退院して、今までの生活というものにもどりつつある。

先日、母の話をする機会があったのだけど
初めて人に「お母さん大丈夫?」聞かれて説明をしたのだけど

こういう話ってよう自分では持ち出さないし、FBかBlogとかで、大量に流れていく出来事の中に、そっと忍び込ませるように書いていたりする

だからそれ見てどうの、なんて思う人は多分居ないし、いなくて当たり前なんだと思うし、内容が重かったらおそらく声をかけるのも憚られると思ってしまうんじゃなかろうか。


でも、私は先日聞かれた。
大学から付き合いのある、ある先輩によって。
別に変な感情が乗っているわけでもなく
フラットに起こる事態を冷静に受け止めるように




私はそういう姿勢に救われた。
私が友達すくないのもあるかもしれないけど(笑)
そういうことをきちんと聞いていただけるってことは嬉しいというか、ありがたいというか。
ひとまず声をかけてもらえるっていうのはとても大きな事のような気がする。
そういうことは優しさだと感じる。

もしかしたら私の感じる「優しさ」は人とは違っているのかもしれない
黙って見守ってるていうのも優しさだと言う人もいるかもしれない。

でもそれはやっぱりひとりよがりだ。

見守ることは「優しさ」じゃないと思う。見守ってると「伝える」ことは「優しさ」だと思う。
手を差し出すこと声をかけること。何していいかわからないときも「何かしたいけど何していいかわからない」って伝えたらいい。やさしくなりたい。

わたしはやさしくなりたい。


先輩に聞かれて、自分の思う「優しい」ということはこういうことだという再確認もできた。


やさしくなりたい。

もしかしたらそういう経験をした人からその種の優しさを知るのかもしれないけれど。