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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

週明けの憂鬱

週明けはほとんど憂鬱だ。

会社にに行きたくないとか死んでしまおうとか、そういう類とは少し違っているけれど、

月曜日は自分の無力感がすごいのだ。

あれー今まで俺は何をやっていたのだっけか。

今のままでいいんだっけか。

誇れるものあるのだろうか。

何か成し遂げたことあったか。

自分しかできないことか。

自分がしてきたことは誰にでもできることなんじゃないか。

今会社辞めて生きていけるんだろうか。

スキルは溜まっているだろうか。

本当にこのままでいいんだっけか。

ビジネスセンスがないんじゃないだろうか。

 

とか、頭をよぎって

あぁこのままじゃやばいぞ・・・と毎週毎週思う。

 

結局答えは、甘えてんじゃない、やることちゃんとやれ。

誇れるものがないなら、作れ、勉強しろ、トライしろ、試行錯誤しろ

それらをやる前にちまちま言うな、

って結論には結局暴力的にもなってしまうのだけど

 

それでも、このなんとも言えない、悲壮感というか、焦燥感というか、

自分には才能もクソも何にもない感じというか、

自分じゃなくても成り立つんじゃないのとか、

そういう感じをありのままで受け止めて欲しくなる。

(誰にとかじゃなくて、そういう海に浮かんでいたい)

 

いや、結論を言えば、結局さっき言ったようになるのはわかってるのだけど。

 

 

思えば、私、商売をする家庭に生まれたわけでもないし

今まで、何かものを売って稼ごうとか、そういうことを思ったことがほぼ無いのである。

(この前、やっと初めてオークションに触れて、まだ何も売れずだけど)

そういうことってもっと若い頃に(別に今が完全に遅いとは言ってないけど)

経験しておくことだったように思う。

いえ、そういう才覚を持った人(才覚が養われる人)は少なくともそういう世界に早いうちに触れているものなのだと思う。

 

「ものが売れる」ということにある一定のセンスは必要なのだと思う。

いえ、自分が考えて繰り出したものが「売れる」という感動、成功、体験をしたかどうかだと思う。

ということを今朝ふと思った。

 

私なんぞは、いえいえ、そんな買ってくれるなんて恐れ多い・・・!くらいな感じに感じてしまって、どうもあまりビジネスがうわてだとは今はあまり思えない。

 

まぁ、「直接的にモノを売らない」仕事なんてたくさんあるけど。根底にあるのはモノを売るセンスだと思う。何が売れるかをわかるセンス。

 

かと、思うと今まで私は若い頃(今も若い!)にどんなことをしてきたんでしょう?と考える。

 

踊りとかSTOMPとか舞台とか陸上とか練習の組み立てとか・・・。

どれも報酬がどうとか絡んでこないものばかりで、私自身もお客さんを死ぬほど呼ぶとかそういうことは考えてなくて、どうやったら自分たちが満足できるかとか、その目標の遂行をすることはあぁ、好きかもと思える。

 

けどやはり、どれも自分が楽しかったら結構そこそこ満足してしまって、お金をもらおうとかそういうレベルではないという概念がある。そして、謙遜か卑屈かわからないけど、基本的に自分ができることは全て遍く大したことではないって気持ちがあって、どれも器用貧乏レベルだ、きっと。と思ってしまっている。

 

「直接的にモノを売らない」と言ったって、

のんびり地方の公務員になるかと言ったって、

結局は、何かを生み出して売るスキルというのは何処に行ったって一緒だ。

公務員の方がより動きにくいかもしれない。

 

いずれは、どこかに行きたいけれど

そのための動きを1日1mmいや1週間に1mmでもしておかなければ進まない。

 

本当に面白いと思うことをリリースして、認められるしかないのかしら。

もっともっとすごい人がいるんじゃなかろうかって萎えたりもする。

こんなんじゃ全然だめだよなぁと萎えたりもする。

だって休日を休日として楽しんでしまうのですもの私。

 

じゃあ私はどこで、どの分野で、生き生きと需要と供給が合うものを提供できるのだろう。

それとも、人生はそういうものじゃなくて、なんというかどちらかというとつらいベースの上に成り立っているものなのかしら。

良いこと49、嫌なこと51の比率なのだろうか。

 

どこで生きていけばいいんだろう。

誰が必要とするんだろう。

 

まとまらない。

いえ、まとめる必要なんてないけれど。