(あいさつ)
殴ったら殴った手の方が痛いとは、ありますが、
例えば、恋人と別れるとか別れないとか話を誰かとする時は、圧倒的に
別れようとしている方が、殴る側のように見られる気がする。
(私の言い分が殴るような言い様であるという可能性も0ではないことは認めますけど)
そういう話をするときに、殴る側の痛さについて、共感というか、心配というか、ケアというか、フォローしてくれる人はほとんどいませんのよ。
うわーそれひどくないですか、とか
なんで続けられないの、とか。
殴られる側のフォローはしやすいんだけど
殴る側だって実は痛いんじゃなかろうかと一瞬でも逡巡する人がいないのはなんでなんだろうなぁ。
だから、私はできるだけ、そういうときは、
殴る側へのインタビューというか、どんな感じだったのかを良く聞きたいと思ってしまう。
殴る、殴らないの物理的な話ではなく、
精神的にも殴る側ってダメージあるよ。
殴られてる方が楽だよ。
わかりやすい物理的なダメージと
わかりやすい精神的な傷心だから。
そういうことばかりじゃなくて、殴る方も傷つかないわけないじゃないか。
誰かが助ける人ではなく、誰にも助けられない人、助けを呼べない人に気づける人でありたい。
殴った手も心も痛い。ということ。