handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

Fのコードが弾きたくて

早く帰りたくなる時もある。

ギターを1年半くらいやっているのだけど、それはまさしく何かを覚えていくときの

習得曲線ににているようで、それを感覚として得ているようで。

例えば最初はFなんてうまく押さえられなかったのに

今はなんとなくきちんと押さえられてきているように感じる。

この曲の知ってる部分を簡単にできるコードで弾いていこうってちょっとずつちょっとずつ思っていたら

いつの間にか簡単なコードならきちんと押さえることもできるだろうし

アルペジオとか運指がうまいってレベルではないけど)

昔なら一瞬で敬遠していた#とかbとかのコードも見てわかるものもちょっとずつ増えてきた。

なんだろう。

芽の出るスピードはそれぞれ(例えば1コードずつ)違うのだけど、ちょっとずつ全体がわさわさって生えてきたイメージ。

だから低い次元では全体は補完されている。

レベル1のところもあればレベル5のところもある(だろう)レベル3もある。

レベル1が出揃ってきて、例えばそれが、それぞれに桶の周りを囲む板だとしたら

浅い水、少量の水なら汲める桶になってきたっていうイメージ。

これってきっとなんにでも言えることだと思う。

いくつかのことが同時に進行していく中で伸びやすいものもあれば、伸びるのに時間がかかるのもある。

でもちょっとずつ桶になっていく。すくえる水の量が増えていく。

(でも大量にすくおうとすると、いつも一番低いレベルの所から水は流れ出て行ってしまう。)

そういう成長(?)変化を少しずつ感じている。

あぁ、1年半もやっていればそういうのが見えてくるんだなぁと。

そしてまた、もっともっとできないこともあるから、それはそれに合わせて、適切なタイミングで

じゃあこれやってみるか・・・と徐々に徐々に思えてくるのでしょう。

全然わからなかったコードも例えとして、毎日0.01mmくらいずつ触れていたら

あれ、なんでこれ敬遠してたんだろう・・・?って思える日もやってくる。

そういう感覚になれたとき。

いつの間にかハードルは見えなくなっていて、またぐだけで越えられているとき。

そういう感覚を自覚するのもまた楽しい。

さて、社会人になって始めたギターだけども。

これで老後は安心だなぁとも思う。(笑)

毎日、10分でも良くて、1時間でも良くて、別に好き放題やって3時間弾いててもいいってところが素晴らしい。1回最短3分くらいで終わるし、いこうとすればどこまでもいける(人もいるだろう)。

中途半端な仕事終わり時間を見事に補完している気がするよ。

これが仕事終わり5時間、6時間も自由だったらどうだろう。多分ギターを選べていないんじゃないかと思う。

これだけ時間があればもっと楽しいことできちゃうんじゃない・・・!?とかって考えてわたわたしてたはずだ。(それが顕著なのが大学生。時間が余っているからってなんかもっといいのがないかって探しちゃう(笑))

だからま、そんな中で、ある程度縛られた時間の中で適切な時間の切り取り方ができて

適切に満足できるっていうこのポジショニングはなかなか素晴らしい。

これで「ギターできますよ」って言えるレベルになったらもっと素晴らしい。

素敵な老後を過ごせると思う。

ギター談義でした。

まだギターできますよってレベルじゃない気がするけど・・・。