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日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

なぜこんなに死が近いのか

生きることと死ぬことは相反するものでもなく

すぐ近くに隣り合わせ、仲睦まじく同居している。

ふと死にゆくことにも憧れる。

今飛び込めばどうなるだろうかと。

飛び込んだ後を想像する。

怖いのもあるし、第一

想像がうまくできないから

それはいつも想像未遂で終わる。

いわゆる憧れである。

永遠に憧れである。

私は今憧れという意味を

手が届かない、という意味で使っている。

どこかの誰かに

暗殺されるのは結構な夢。

暗殺に足りうる人物であれば。

親には恐らく大変良く育ててもらった。

反抗期はおそらくなく、(その前に既に自問自答がかなり多かった(笑))

比較的楽しく過ごさせてもらったと思う。

親は冒険心はほとんどない

両者とも安定していて

安定を求められることや

よく社会で言われているなんとなく正しいこと(汗水垂らして働けとか)を

しなさいとは言われるけど

私なりに咀嚼して従ったり従わなかったり

けれども、そういう自由を許してもらっていたと思う。

だから、それと引き換えにと言っちゃあなんだけど、何でもかんでも自分で考えなくちゃいけないことはクソほどあって

指針くらい立ててよ!って思うこともあった。

(そう思うと、今の仕事にしても、何にしても私の方向を決めてくれる(示唆してくれる)人なんて最初から今まで居なかったのだし、居なかったということは僕がその環境をどこかで望んでいたんだろうと思う。)

おかげで今もどこに進めばいいかわからないままだけど

とりあえず進むことを覚える時期なんだろうと思う。

そう考えるとE難度で物語は最終ステージへと進んでいってるのかもしれない。

そんな社会的に客観的に職業的にも見たら普通の親から

よくもまぁ、なんか変なことをぶつぶつ考える、私みたいのが育ったなぁと客観的に思う。

でもまぁ

そんなことは抜きにして

3人目、一番最後の私を

ここまで(少なくとも私は不自由なく、そりゃまぁ借金はあるけど笑、あくまで不自由がなくね、物欲あんまないし(笑))

育ててもらったことには

感謝と尊敬を感じてる。

よーく育ててくださった

だから見てなよ、

お礼にちょっと楽させてやんよ

って思っている。

仮に今死んだら貯金は全部使って良し。今ね。今現在よ(笑)。

親にももちろん

人を楽しませなけりゃ

生きてる意味がない

死は隣に仲睦まじく同居している。

見てろよ。