handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

kitchen

吉本ばななさんのキッチンを読みました。

言葉にはとてもしづらいけど、優しく強くそっと入ってくる文章とストーリー。

私はこういう世界観が好きかもしれない、いや、ちょうど欲していたのかもしれない。

幸せそうな描写が、あぁあぁわかるわかる・・・と思ってしまうよう。

「みかげさんは恋人としての責任を全部のがれてる。恋愛の楽しいところだけを、楽して味わって」

と主人公が、雄一の彼女に責められる場面があるのだけど。

-彼女の人間洞察はかなり自分に都合の良い方向に傾いていたけれど、その言葉の暴力は私の痛いところをかなり正確についていたので、私の心はたくさん傷ついた。まだなにか続きを言おうと彼女の口が開きかけたので、

「ストップ!」と私は言った。彼女はびくっとしてだまった。私は言った。

「お気持ちはわかりますけれどね、でも人はみんな、自分の気持の面倒は自分でみて生きているものです。・・・・・・あなたの言ってることの中に、たったひとつ、私の気持ちだけが入ってなかった。私が、何も考えていないことが、どうして初対面のあなたにわかるの?」-

っていう一節があるのですが。

これで、昔を思い出してしまった。

私も昔、ごたごたしてしまった時があったのだけど、正確に言うとこの男女逆バージョンのような。

相手にキレられるみたいな。

(小説の男女の構成だったらいいですけど、逆だとなんだか情けない感じもするのですが・・・)

別に誰が悪いだなんて思っていないけれど、

この時ばかりは、同じようなこと思った。

そんなことが小説に書いてあって、なんだか今救われた気分。

「俺も傷ついた、あの子も傷ついた」「二人も傷つけたことは事実じゃないか」「あの子の家族までも傷つけてるんだぞ」とか。

言われたのだけど、じゃあなんで僕はそこに入ってないんでしょう、と。

なんで、限りなく正しい立場から物事を言っている確信があるんでしょう、と。

誰かを傷つけたことを責めることによって、その人を傷つけることは許されるのか。

私のことをどれだけ知ってるのか

彼女の気持ちをどれだけ知っているのか、と。

家族の気持ちをどれだけ知っているのか。

ましてや。

あくまで、僕の主観だけど、家族はその子に幸せになって欲しいのであって、

その子が幸せならば、家族は傷つかない。だから別にそれと関係がある人がどうなろうが、

その人を大切にすればいいわけで。

そんな対象を広げて、責められても、やっぱり人を傷つける目的でしかない発言なわけで。

キッチンを読んでいただければわかると思うけど、悲しくて救いのない暗い作業。

やきもちとか嫉妬とか自分でもどうのしようもない感情のぶつけ先としての

自分がいたってことはわかるよ。

わかるけど、やっていいこととわるいことがあるし、じゃあそれをわかります、ごめんなさいって言って、引き下がった僕のことは、じゃあ誰がわかってくれるの?ってこと。

なんであっちのわがままだけを聞いていなくちゃいけないの、ってこと。

そんなことを誰に打ち明けるでもなく、今のいままで結構とっておいたのだけど(何ででしょうね。きっと言うことが格好悪いと思ってたんでしょうね。)

キッチンに触れて、「悪くないよ」って言われてる気がして、本当にありがたかった。

みんながみんな自分のことに精一杯で、

私は怒りを向けるターゲットとして居ただろうし。彼女は時には自分を責めて、だからフォローしてあげてくださいね、って周りにもお願いしたりした、それでも各々は自分のことで精一杯だった。

じゃ私のことは、誰がわかっていてくれたんだろうな・・・と思うと、

結局なんだか、誰もわかってくれてなかったんじゃないかな・・・と思う。

そう思うと、ふと悲しくなることもある。

と、そんな昔のことを思い出したのだけど。(やーっと言えた)

こういうものを抱えて亡くなって逝っちゃうのかな。

そういうのは、いやだな。

あの時はこうした、この時はこうした、ってちゃんと言ってやりたいね、死ぬ前には。

見えないところで頑張っているのも美学のひとつではあるけど、見せて自分の生き様をしかと

焼付けさせてやりたい気もする。

ともかく

みなさん、それなりに上手くやっていけているのなら、良いと思う。

あぁ、良かった、うまくやってるんだね・・・^^って感じ。

もう過去の話ですしね。大切なのは今ですしね。

掘り返すのも多分これで最後でしょうし、これを掘り返したかっただけでしょうし。

どこかの誰かがわかってくれた(わかるのかな・・・)だけで、満足。

(ってくらいに年月をかけてハードルが下がってきたのだろうね。)

それでも生きていくわけだしね。

あー、久しぶりに良い小説だった。

美味しいものの共有とか、いつかできたらいいなぁ。

景色だっていい、なんだっていい。

これは一人で食べてたらもったいない!ってその人のところにすっ飛んで行くようなことがしたい。

最後に。

「風邪はね。」うららは少しまつげをふせて淡々と言った。

今がいちばんつらいんだよ。死ぬよりつらいかもね。

でも、これ以上のつらさは多分ないんだよ。その人の限界は変らないからよ。

またくりかえし風邪ひいて、

今と同じことがおそってくることはあるかもしんないけど、

本人さえしっかりしてれば生涯ね、ない。そういう、しくみだから。

そう思うと、

こういうのがまたあるのかっていやんなっちゃうっていう見方もあるけど、

こんなもんかっていうのもあってつらくなくなんない?

まぁこんなもんか、って思ったら確かにつらくない気がしてくるから不思議ね。